創業時から事業、観光に力
1919(大正8)年に初代社長の林豊洲(本名・茂)が帯広市西2南8に帯広新聞社を設立したのが始まりです。1920(大正9)年4月に現在の「十勝毎日新聞」に改称しました。当時から野球大会や現在の勝毎花火大会につながる事業を開催し、狩勝峠の「新日本八景」入りを呼び掛けるなど、観光にも力を入れてきました。
1931(昭和6)年に豊洲が建設した3階建ての社屋。第二次世界大戦中の新聞の統合で一時手放しましたが、1957(昭和32)年に買い戻し、1968(昭和43)年まで使われました
1919(大正8)年の創刊から使われ続けてきた鉛の活字。コンピューターによる印刷組版システムの導入により、次第に姿を消しました
紙面改革、事業を通して成長
戦中の新聞統合で休刊となりましたが、1946(昭和21)年に「週間十勝毎日新聞」を発行、その後1952(昭和27)年に日刊紙として復刊を果たしました。当時は競合他紙も多い中、特集記事や年間キャンペーンなどの企画展開、文字の大型化など数々の紙面改革を通して部数と影響力を拡大。地方博の成功例と言われた「グリンピア‘92十勝博」や「みどりいむ’92」などの大型事業も手掛け、報道と事業を通して成長した時期でした。
1978(昭和53)年、故中川一郎農林水産大臣(左)と故太田寛一全農会長の対談。十勝の基幹産業をけん引するために進めた数々の農業関連記事の一環として、実現しました
地方博の成功例と言われた「グリンピア‘82十勝博」。帯広市開基100年を記念して開催されました
1985(昭和60)年、帯広シティーケーブルが開局。現在も地域情報を中心とした「コミチャン」や、高校野球中継などで親しまれています
多メディア展開とデジタルで地域情報を発信
1985(昭和60)年に都市型ケーブルテレビ局の帯広シティーケーブル(OCTV)、94(平成6)年には地域コミュニティーFMの先駆けとしてエフエムおびひろ(JAGA)が開局しました。これにより、様々なチャンネルで地域の情報を伝える複合メディアとして成長すると共に、視聴者やリスナーの声を取り上げる双方向の発信に繋がっていきます。
さらに2010年、国内一般紙の中で先駆けて開設した電子版と連動することで、デジタルを活用したより多角的な情報発信を進めています。
1994(平成6)年に「エフエムおびひろ」を設立。「十勝発の情報を、十勝のラジオで流す」という熱意のもと、勝毎ビル4階にスタジオを設けました
創刊80周年記念の公募で決定した本社イメージキャラクター「ぴぴっとかちまい」
2002(平成14年)に帯広競馬場を舞台に開催した「とかち国際現代アート展・デメーテル」。蔡國強やオノ・ヨーコら世界的な芸術家が参加しました
2012(平成24)年に英国ガーデンデザイナーズ協会(SGD)の大賞を受賞した十勝千年の森。写真は波打つ芝の丘が美しいアースガーデン
2016(平成28)年に開催した特別展「篠山紀信展 写真力」。2万5000人以上の来場者数を記録しました
2019(令和元)年、帯広で行われた創刊100年記念式典で式辞を述べる林社長
2019(令和元)年6月25日に紙齢3万号に到達
2020(令和2)年、21(令和3)年には音更町・十勝川温泉河川敷で、新型コロナウイルス収束を願うサプライズ花火を打ち上げました(写真は2020年)