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稲士別駅の廃止惜しむ 幕別の中村さん夫妻、城石さん

  • 2017年2月11日 14時02分

 JR稲士別駅(町千住)で、50年以上前に同駅舎隣に住み込みで切符や日用品などを販売していた中村勝也さん(79)、ミエ子さん(80)夫妻は、同駅の廃止(3月4日)を惜しんでいる。夫妻や友人の話によると、同駅にはかつて旧国鉄の保線区の拠点があり、近くにあった亜炭を掘る炭鉱の職員なども利用し、にぎわっていた時期があった。

稲士別駅の思い出を語る中村さん夫妻(右2人)と城石さん

 同駅についてはJR北海道にも資料が少なく、歴史については確認できない部分が多い。

 町史では1950年に仮乗降場が設置されたとあるが、JRによると1959年開駅となっている。勝也さんの父親(故人)は国鉄職員で、53年に池田から稲士別の保線区に転勤になったことから、その頃から乗降場は存在していたことがうかがえる。

 勝也さんは当時は池田高校生で、同駅を使って通学。帰りは同駅に止まる列車がないため、札内駅まで行って一度降り、逆方向に乗り直して帰宅した。当時の稲士別駅には木造の駅舎、駅北側に国鉄の官舎があり、職員5、6人、家族を含めれば20~30人が住んでいたという。

 勝也さんは「花見の時は皆が集まってにぎやかだった」と振り返る。駅舎隣には家があって国鉄の委託で切符と駄菓子、雑貨などを販売していた。

乗降場時代の稲士別駅。右奥が中村さん夫妻が住んでいた家と駅舎(町史から)


 59年に中村さん夫妻がその家を引き継ぎ、勝也さんが仕事に行く間、妻のミエ子さんが主に販売を担当。2人の子どもも、その家で育てた。

 ミエ子さんは「亜炭鉱で働いていた人や、帯広に山菜を売りに行く人もよく来ていた。朝も通勤や通学で毎日10人以上は使っていた」と思い出す。店は65年ごろに閉め、その後は保線区の拠点もなくなり、無人駅となった。

 駅の近くで生まれ育った中村さん夫妻の友人の城石恵子さん(74)は「小学生だった昭和20年代には既に駅があった。1度だけ保線用の足踏みトロッコに乗せてもらって、白人小学校近くまで送ってもらったことがある」と懐かしむ。

 城石さんは廃止を聞いて現在のホームにも上ってみた。「昔はホームが短くて汽車がはみ出してしまい、飛び降りたこともある。なくなるのはやはり寂しい」と話している。

<亜炭>
 炭化度の低い石炭。火力は弱いが安価で、戦後、家庭や工場などの燃料として重宝された。稲士別駅付近の炭鉱は1961~63年ごろに閉山した。

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