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十勝毎日新聞社ニュース

御真影の「奉安殿」発掘

2013年07月02日 14時15分

 【池田】町郷土文化研究会(藤平隆代表)は1日までに、旧制池田高等女学校(現・池田高校)の敷地内に戦前設けられ、御真影(天皇、皇后の写真)や教育勅語を納めていた「奉安(ほうあん)殿」を同校があった旭町第2町内子供遊園地(旭町2)から発掘した。奉安殿は、戦前、各学校に建設されたが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の方針で廃止された。町内で建物が見つかったのは初めて。戦時下の教育を伝える遺物として関心を集めそうだ。

発掘された奉安殿。写真の奥が土台部分で、タイルが建物の外壁。写真の右上から中央下にかけた溝に接する部分が建物の正面とみられる

 奉安殿が埋まっていたのは同遊園地北西の町道に接する一角。旧池田高女は戦後、池田高校(旧制池田中)と統合され、池田高が1967年に現在地(町清見)へ移転する前は、池田高女の校舎を使用していた。移転後、学校跡地は宅地化された。

 発掘作業は、同地を所有する町の許可を受け、6月29日に始めた。建物は鉄筋コンクリート製で正面が東を向き、土台から南側へ横倒しになっていた。大きさは、土台を含めて高さ4メートル、奥行き2.35メートル(土台部分は2・75メートル)で、幅は土中に埋もれているためまだ分かっていない。

 建物の壁にはタイルが張られ、東側の空間は扉があったと推定される。建物に使われていたとみられる鎖、かわらなども発見された。

 奉安殿の建設時期や戦後、どのような経過で土をかぶせたのか、池田高にも記録が残っていないが、地域では築山の下に奉安殿があることは知られていた。77年ごろ、築山に穴が開き、コンクリート部分が露出し、地域の有志らが土をかぶせたこともある。今回の発掘も地域の有志の提案がきっかけだった。

池田高等女学校にあった奉安殿(卒業アルバムから)

 終戦の年に同校に入学した町内在住の山陰智恵子さん(80)は「学校行事になると、モーニング姿の校長が奉安殿から教育勅語を講堂へ運び、読み上げるのを生徒は、頭を垂れ、最敬礼で聞いた。建物が残っていると聞き、驚いた」と話している。

 藤平代表は「建物は土台程度と思ったが、かなりの部分が残っていたのは意外だった。奉安殿に関しては戦争のむなしさや悲惨さを伝えるものと受け止めている」と話している。

 発掘作業は2日も続けられ同日終了の予定。同研究会は町教委と協議の上で今後の対応を決める。同研究会では「建物は管理上の問題から埋め戻し、看板を近くに設けたい」(藤平代表)とし、発掘の報告書を作成する予定。

奉安殿
 戦前、全国の学校に設けられ、御真影と教育勅語を納めていた建物。児童・生徒は登下校時には最敬礼をして通り、紀元節などの催事には校長が教育勅語を運び出し、児童・生徒の前で奉読した。戦後、GHQの方針で多くは解体されたが、解体を逃れた建物もある。

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