十勝毎日新聞社ニュース
馬たちの終戦記念日 住民らが馬頭祭
2010年08月13日 14時24分
65回目の終戦記念日が15日に訪れる。戦地で散った兵士らとともに、馬産王国・十勝からは多くの軍馬が海を渡り、馬は1頭も古里に戻ることはなかった。今も十勝の農村部に600カ所以上残る馬頭観音像・碑では毎年7月17日に馬供養の馬頭祭が行われることが多いが、芽室町内雄馬別地区(現在18世帯)ではお盆に合わせて8月17日に催される。雄馬別神社近くの馬頭観音堂の中には、神社前から出征した愛馬の写真が、ひっそりと飾られている。

馬頭観音堂の中に飾られている出征軍馬の写真。農家の立派な働き手だった馬が戦地に送られた
雄馬別地区は、戊辰戦争(1868〜69年)で榎本武揚とともに官軍と戦った内山孝太郎が1906年ごろ内山牧場を設けて開拓が始まった。入植した農家は耕作・運搬で馬を飼い、一方で十勝では1909年に陸軍省軍馬補充部十勝支部(本別)が設けられ、翌年には十勝種馬牧場(音更)が同省に移管され軍馬の一大生産地になった。
農家の馬は、日中戦争開始(1937年)ごろから軍馬として徴用されることが多くなった。

毎年8月17日に馬頭祭が催され、馬の供養を行う雄馬別の馬頭観音堂(旧内山牧場の「孝太郎地蔵」とともにまつられている)
出征する馬は日の丸に馬名の入った布を胴に巻き、首に「武運長久」のたすきを掛け見送られた。戦争史に詳しい嶺野侑さん(帯広市戦没者遺族会会長)は「復員(=戦地から帰還)する軍人は戦地に多くの馬を残して帰った。『何十頭もの馬たちが別れの際にいななき、悲しかった』と話していた人がいた」と言う。
戦争中に日本から送られた軍馬は50万頭とも言われ、十勝の戦中世代の人々は、戦地に散った愛馬を今も思い続けている。



