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33年のスケート人生「間違いなかった」 清水宏保選手が引退会見

2010年03月06日 14時05分

金メダルが最高の思い出
“最速”と“最強”追い求め

 十勝が生んだスピードスケート界の小さな巨人、清水宏保選手(36)=コジマ−日大、白樺学園高出=が5日午後、市内の北海道ホテルで引退記者会見を行い、33年間のスケート人生に終止符を打った。時折こみ上げる思いに言葉を詰まらせながら、現役生活を振り返った清水選手は「スピードスケートは僕の存在理由であり、人生そのものだった。僕の夢を支えてくれたすべての方々に、心からありがとうと言いたい」と、涙で目を潤ませて語った。(古川雄介、塩原真)

目を潤ませながら支えてくれた人たちへの感謝の思いを語る清水宏保選手

−引退を決意した理由は
 年齢的なもの、実力的なものもあり、いろいろな要素があってのこと。昨年末の五輪選考会の時点で、このまままぐれで勝って五輪メンバーに入っても、果たして五輪で勝負できるか、そういった実力を今、自分自身が持っているか、メダルに届くのか冷静に考えた時、それはやはりなかった。4年前の時点でバンクーバーまでやってやめようと思っていたので、選考されなかった時点で、現役を退こうと決意した。

幸せな競技生活すべてに感謝
 −引退にあたっての思いは
 本当にたくさんの方々に支えられ、幸せなスケート人生を送れた。何か心残りがあるかなと考えた時、500メートルで34秒を切る33秒という大台を出すことができなかったのが唯一の悔い。その最後の目標は、たくさんの後輩たちがかなえてくれると信じている。
 僕がこれからすべきことは生涯スポーツとして、スケートの楽しさや滑ることの楽しさをたくさんの人々に伝えること。そしてこれから五輪でメダルを目指す選手たちにアドバイスできるような立場になっていけたらと思う。応援してくれたすべての方々、スケートに携わってくれたすべての方々、僕の育った帯広市、育ててくれた親に、僕の夢を支えてくれて心からありがとうと言いたい。

 −33年間で一番つらかった時期と、印象に残っていることは
 競技人生の中で一番きつかったのが、長野五輪の前に内定をいただいてから2年半の間。2年半前というのは異例だった。僕1人が内定をいただいたことによって、金メダルを絶対取らないといけないという状況を与えられたので、その重圧は正直苦しかった。一番印象に残っているのは、やはり長野五輪の金メダル。自分の中での最高の思い出のレース。それまでスピードスケート陣に金メダルがなかったので初めての金メダルというのも大きいが、それ以上に2年半の重圧の中、最終的に結果を残すことができた達成感は何物にも代えられないものだった。

スケートが僕を育ててくれた
 −清水選手にとってスピードスケートとは
 存在理由の1つだったと思う。僕の中のいろいろな考え方や、定義すべてがすべてスケートがベースとなっていて、僕が今現在あるのも、スケートが僕を育ててくれたから。人生そのものだったと言える。

 −競技を続けてこられた支えは何だったか 500メートルにおいては最高の滑り、キャンバスの上にどれだけ最高のパフォーマンスを描けるかを追い求めて競技を続けてきた。

 −33秒台は見えたのか
 34秒32(2001年世界距離別)の時は外的要因を含めてミスの多いレースだった。それをちょっとでも削れば33秒台が見えると思った。今振り返れば年齢的にもあの時が一番出せた。実際に今世界記録が34秒0まで来ているので、あの10年前の時点で可能だったのではと思う。

 −ソルトレーク五輪以降は
 ソルト以降は腰痛に悩まされて、あの五輪でかなり無理をした反動が何年も続いた。けがとの戦いはものすごく苦労したが、自分のスケートに対する考え方も変わって僕自身と向き合い、成長させてくれた部分もある。

 −記録と五輪のメダルのどちらを求めてきたか
 両方追い求めていた。“最速”と“最強”、本当の強さというのは違うと思っていた。やはり五輪で勝つものが強い。実力や精神面、すべてを整えられた人が本当の強さ、最強と呼ばれるものだと思う。世界記録を持っていてもリザルト(結果)を残すのは難しいことだが、あえてその難しいリザルトを僕は求めていた。

地元の子供に還元したい 
−帯広の屋内リンクをどう活用すれば第2の清水が生まれるか
 このような環境は世界でもないし、ぜひ生かしてほしい。今回の五輪後、韓国のコーチはこの帯広のリンクをナショナルチームで使いたいと言っていた。
 昨日僕がリンクに行った時に小学生の子供たちから、『清水さん指導してくれないの?』と言われた。小学生の子供たちは僕のことなんて知らないだろうと思っていた。今の長島選手、加藤選手の世代を知る子供たちがそう言ってくれたのがうれしかった。少しでも地元の子供たちに還元できる形をとり、スケートの底辺を拡大して、五輪選手が育っていく環境をつくりたい。
 
−バンクーバー五輪をどんな気持ちで見たか
 自分が目指してきた舞台の1つだが、僕自身が勝負できる実力はなかった。そういった意味で1人の関係者として熱く応援できた。今回、銀、銅メダルに輝いた長島選手、加藤選手らは僕のサインを持っている世代。そういうやつらが活躍してくれたのは、本当に僕のやってきたスケートは間違っていなかったと思った。

 −小さな体で結果を残した
 スピードスケートにおいて、身長差はものすごく影響するというのが、昔からの固定観念だった。身長の低い選手はスピードスケートでは通用しないというのを僕は覆したかった。今、加藤選手にしてもそうだが、身長の低い選手はたくさんいる。そういった証明はできたという自負はある。

 −今後について
 正直何をやるかはまだ決まっていない。ただスケート選手として33年間やってきて何も残らないような生き方ではなく、後輩たちが僕を目指してくれるような、生き方をしたい。僕自身ぜんそく患者でもあるので、ぜんそく患者でもスポーツで成功できるという証明ができたと思う。ぜんそく患者の代表としても何か役立ちたい。

 −これからの夢は
 僕の父親は小さな会社を経営していたが、その父の背中を見ていたせいか、僕も何か起業したいというのはある。その中で、選手たちをサポートできるような環境づくりができる立場になればいい。

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