十勝毎日新聞社ニュース
日本勢最高は小原の17位 スピードスケート男子1000
バンクーバー冬季五輪は17日(日本時間18日)、スピードスケート男子1000メートルが行われ、小原唯志(日本電産サンキョー−明大、白樺学園高出)が1分10秒51で17位となった。杉森輝大(吉羽木材−明大、白樺学園高出)は1分11秒13で26位、羽賀亮平(日大−白樺学園高出)は1分11秒46で29位、長島圭一郎(日本電産サンキョー−日大、池田高出)は1分12秒71で37位。
小原、不完全燃焼
念願の舞台で重圧
「最後のつもりで滑ったが、燃え尽きた感じはない。ふがいない」。初五輪で日本人最上位の17位となった小原唯志(日本電産サンキョー−明大、白樺学園高出)に満足感はない。「何だろう。ワールドカップとかとは全然違った。この緊張感をいい滑りに変えた人がメダルを取るのだと思う」。いつもと変わらない口調に悔しさがにじんだ。
持ち味の切れ味鋭いフォームと脚力で滑らない氷を押した。600メートルまでのラップは上位陣とそん色ないが、ラスト1周が優勝したシャニー・デービスとは1秒以上違った。だが大会前の記録会では1分9秒台を出しており、「本番になると動きが硬かった」と、目に見えない五輪プレッシャーが立ちはだかった。
幼いころから速さは群を抜いていた。中学までセンスだけで滑っても連戦連勝。ところが白樺学園高では結局インターハイで1度も頂点に立てなかった。故・坂井俊行監督には『練習しないとダメだ』と反省文を書かされた。どこかに妥協と油断があったことを思い知らされ、初めて練習の大切さに気がついた。
明大4年の2005年11月、W杯代表から外れて帯広で合宿中だった小原は、坂井監督の危篤を聞いて亡くなる直前に病院に駆けつけた。『五輪に出て頑張る』と語りかけると、ベッドに横たわった恩師はうなずくような反応を見せた。そのシーズンのトリノ五輪代表は結局逃したが、4年越しで“約束”を果たせた。
「たくさんの人の応援の声が伝わってくるのが五輪だった」。師に誓った言葉はかなえることができたが、果たして本番で全力を尽くせたのかは分からない。この先は決めていないが、「年齢的にはもっとピークがあるはず。500メートルも出たかったし、日本人は1000メートル以上も頑張らなきゃいけない」と、やり残したことはある。(古川雄介)
不運のスタート
長島「うれしさ悔しさ半々」
「フライングの笛の音が聞こえたと思ったので止まった。集中を切らさないようにしたが、トラブルを乗り越える力がなかった」と、長島圭一郎(日本電産サンキョー−日大、池田高出)は苦笑した。歓喜に包まれた500メートルとは一転、不運に見舞われ、まともなレースができなかった。
スタートを切った直後に滑走をやめた。同走のロブコフはそのまま滑りコーナーを回ったが結局レースはやり直し。腑に落ちないままの4組後の再レースもスタート前に中断。ようやく飛び出したが、中盤から失速。「足が全く止まってしまった」と体が言うことを聞かなかった。
今季は五輪に備え500メートルに重点を置いたが、スプリンターとして1000メートルはこだわってきた種目。「レースの前までは気分がよかったのに鼻をへし折られた感じ」とガックリ。締めのレースが不完全燃焼に終わり「うれしいのと悔しいのと半々になった」と五輪を振り返った。
氷軟らかかった
男子1000メートル26位・杉森輝大(吉羽木材−明大、白樺学園高出)の話
平常心で行ったが目標に届かなかった。1分10秒台の前半は出したかった。リンクのコンディションが練習と本番では違う。今日は氷が軟らかく、ラスト1周の落ちが大きかった。
亡き友への誓い実現
初の五輪 羽賀、高揚感
1組で滑った羽賀亮平(日大−白樺学園高出)が家族のいるスタンドに右手を振って応えた。「結果はまだまだ力不足だったが、小さな時からの目標だった舞台で滑れたのがうれしい」。29位に終わった悔しさよりもあこがれの舞台に立った高揚感が勝った。21歳の若さで五輪まで上り詰めた。それは亡き友と約束した場所だった。
白樺学園高3年時の2006年11月、アイスホッケー部の親友、伏屋智史君が試合中の事故で亡くなった。高2の時に交換したTシャツは形見の品となったが、大学生になった今も遠征には持ち歩き、友と一緒に戦ってきた。昨夏、仏前に手を合わせ親友と、わが子のように気をかけてくれるその両親に五輪出場を誓った。
高校時代から1000メートルは大の苦手。500メートルも2本そろえることができず、安定感がないと酷評された。だが2人分の夢を背負ってから急成長を遂げ、弱さを克服した。友にも胸を張って報告できるはず、そして次の目標を告げるつもりだ。「次は自分も500メートルに出たい。もっと努力して速くなりたい」と4年後を見据えた。



