7千年前から人が暮らす土地
吉野市街地の北側に広がる通称、吉野台地。東西を下頃辺川と浦幌川に挟まれ、南に向かって舌状に伸びる台地に、新吉野台、吉野、下頃辺、平和、共栄など約七千年前の遺跡が点在している。
年代はほとんど同じで、網の重りに使ったと考えられる遺物が数多く出土している。それに比べ、狩猟に使った石器は少ないことから、一帯には漁村が広がっていたようだ。
なぜ、この台地に遺跡が多いのか。縄文時代の人々が生活を営んでいたころ、台地にはミズナラ、ハルニレ、トドマツ、エゾマツなどの針広混交林が広がり、南側には大河が流れていた。網を使い川で魚を取り、山間部の人たちと交換するなど、温暖な気候で食料を確保しやすかったのだろう。
遺跡からはほかに、美しい緑色をしている国内で最古級のひすいの装飾品や土器の上部にだけ文様が付いている浦幌式土器が出土するなど、浦幌は考古学研究者の間では有名な町となっている。
今、自動車で行き交う国道の辺りでは、縄文人たちが走り回り、川で魚を取る風景が繰り広げられていたことだろう。
(豊頃・平田幸嗣)(00.12.25)
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