十勝毎日新聞
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豊頃町の二里塚

写真
砂利道で大津街道と呼ばれていたころの名残が残る、
二里塚のバス停


馬車時代の名残、バス停に今も
国道38号が新川地区にさしかかると、東側の地面が目線よりもぐっと低くなり、視界が一気に開ける。十勝川を抱く平原。夏は作物の緑に、冬は雪の白に染まる。

国道38号が砂利道で交通事情が悪かった大正から昭和の初めにかけて、豊頃町茂岩から帯広に向かい一里(約三・九キロ)ごとに一里塚、二里塚と言っていた場所があった。そこには、日用雑貨を売り、馬車馬や人が休憩、宿泊できる商店があった。
その名残が今でも豊頃町に残っている。現在の礼作別で国道わきに馬の大きな看板が立つ「門商店」が一里塚、豊頃町と幕別町との境界近くを二里塚(現在の統内付近)、そこから約一里のところで現在の幕別町新川のドライブイン付近にも同じような商店があった。一里ごとに土を盛り(塚)、マツなどの木を植え街道の距離の目印にしていた場所を一里塚などと言っていたことから、この地名がついたという。
現在は、この地名は使っていないものの、バス停や地域の会館、農事組合には「二里塚」の名前が今でも残っている。統内に住む、北猛さん(72)は、砂利道の国道を馬車が行き交っていたころのことを今でも記憶している。
「今ではほとんど平らになったけど、昔はもっと上り下りがあって道もでこぼこ。穴にはまらないような大きなタイヤの馬車しか通れなかった」。時期が来ると大津から秋サケを満載した馬車が帯広に向かっていた風景も懐かしいという。
交通手段が変わり、二里塚の商店も役目を終え閉店。ガタゴト音をたてて馬車が通っていた道はアスファルトで舗装され、自動車がビュンビュンと行き交っている。
(豊頃・平田幸嗣)(00.12.21)


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