| 境界の風景[7] 第1部「心の病をめぐる日常」 |
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閉鎖社会の中で過ごしている人間の姿が、随分と人間性を失わせていた。 門屋さんは就職した当時から、「こんなのは精神医療ではない」という感覚を持っていたという。 1970年3月。朝日新聞社の記者がアルコール中毒患者になりすまし東京都内の精神病院に潜入、その実態を『ルポ・精神病棟』として朝日新聞社会面に連載した。それまで隠されいた精神病院の実態を告発した記事は、センセーショナルな内容だった。 「プライバシーの無さや患者同士のトラブル…。まさにこれが精神病院の実態だと思いましたね。それはもう特殊な病院で起こっている問題ではなくて、精神病院で日常的に起こっている問題だと思いました」と門屋さんはいう。
大江病院の坂井院長は語る。 「これは果して病院で長く暮らしたためにそうなったのか、病気そのものなのか。われわれが患者の生活能力を奪ったのだとしたら、社会復帰をはじめ何とか地域に返そうと、いまそのツケを払っている」 十勝には精神医療を取り巻く現状に疑問を感じるケースワーカーや医師らが多かった。 門屋さんら管内のケースワーカーが、退院者が出ると管内の保健所に報告し、保健婦らに定期的な自宅訪問をしてもらい始めたのは68年。 再発しないためには退院後、定期的に通院し薬をのみ続けることが大切なのだという。 「その結果、家族も退院に前向きになってきた。だが、家族もなく1人暮らしも難しい人たちが残ってきた」(門屋さん) そういった人々を何とか退院させたい。 そんな思いから、82年、門屋さんが当時勤務していた大江病院が出資し、共同住居『朋友荘』がオープンした。社会資源にしたいからと、ほかの病院の退院者にも開放した。 2軒目の共同住居『悠夢ハイツ』は88年に開設。その後、有志らによって共同住居や作業所、支援下宿などが次々と増えた。 「このため、十勝は地域で自立して生活する障害者が多い」(帯広保健所)。患者の退院は進み、十勝の精神病院の平均在院日数は95年現在で全国平均の約3分の1となった。 (後藤一也)
大江病院の坂井院長は施設病について「10年以上も入院していると、病院の中の制約や条件に慣らされてしまって、まったく受け身になる。薬も口を開けさせて入れていたという歴史もあるんですよ。それを続けていると、ある種退行して子供に戻ってしまう」と語る。 発病した年代や時代にも関係する。社会状況の変化についていけず、「地下鉄に乗れない、自動販売機が使えない、などの生活障害が生まれる」という。
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