| 境界の風景[12] 第1部「心の病をめぐる日常」 |
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「彼らは孤立すればするほど追い込まれる。受け入れられれば受け入れられるほど、そこで自分の生活能力に応じた生活をしていける。“いることを許されるということ”、それだけでも彼らにとって治療なんです」
一方で、一般の住民は「精神障害者は何をしでかすかわからないという目で見ているのが悲しいけど、現実。精神障害者の施設があったら迷惑だと感じている人もいる」(坂井院長)。障害者はそうした視線を常に感じて生きている。 「相手の立場に立ってものを考えてあげれるようになってくると、見えてくるものが違うと思うんですけどね。それって、もしかしたら、僕の人生哲学の基盤に置いているのかもしれない、大げさにいえばよ(笑い)。分かろうとする姿勢だけでいいんですよ。そこのところが残されていると、人間まんざら捨てたもんじゃないという気がするんだけど…」 人懐っこい笑顔をみせながら、坂井院長はいう。 精神障害の問題はこれまで「あちら側の世界」という感覚で目をそむけられてきた。だが、その境界に立って見える風景−、異質なもの排除するという構造は、イジメなど現代の社会問題の縮図なのではないだろうか。 「結局、人間は物質欲に絡んで起きてくるようなことに歯止めなく流されて生きている。だれしもその流れから別のところで生きているわけではない。さまざまな問題が自分と距離のある部分で起きているのではないという感じ方をしなければ、自分さえ良ければいいという発想になると思う」(坂井院長) 昨年末からビデオ暴行事件やオヤジ狩りなどの青少年事件が多発した。そのとき「今の子供は昔と違って、思いやりや優しさといった情緒が未熟だ」といった議論が関係者の間で起こった。 だが、少なくとも、精神障害者の周辺に限っては、いま足りない何かは、それ以前の十勝にも存在していなかったように思う。(後藤一也)
取材を進める中で、坂井院長が「十勝の気質そのものも、歴史は長くなく、3代目、4代目くらいだから、アメリカの西部もそうだったけど、よそもの排除みたいな、保守的になりやすい時期なのかもしれない」と語った。「障害者は病気によるハンディより、病気の人と見られるハンディの方が結構大きい」(坂井院長)という。
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