◇研究の中心馬産から畜産へ◇
酪農重視した初代学長・宮脇
◆熱心なロータリアン
初代学長は、「いぼ校長」のあだ名があり、昔かたぎの厳しい性格だったが、ゴルフを楽しむなどハイカラな面も持ち合わせ、時代の流れを見通す確かな目を持っていた―。
一九四一年(昭和十六年)に開校した帯広高等獣医学校校長で、のちに帯広畜産大初代学長になった宮脇冨(あつし)は、北大卒業後、明治末に米国にわたり、カンザス州立大で苦学しながら酪農学を学び、同大助教授を務めるなど欧米の酪農事情に精通していた。

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昭和18年(1943年)に撮影された帯広高等獣医学校時代の野外での講義風景。陸軍軍医を養成するため馬の診断、治療の教育が行われた
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北大教授時代は国内初の練乳製造の研究に取り組んだ。畜大でも酪農を重視し、戦後の学制改革で新制大学として再出発する際には、国内初の酪農学科を設けた。後に酪農学科を母体に新学科が次々と生まれた。初代学長の専門が酪農だったことが、大学の進路を方向付けたともいえる。
宮脇は、熱心なロータリーアンで、戦後、帯広ロータリークラブの再興を果たし、日本ロータリー第六区(東日本)ガバナーも務めた。「ロータリー活動に熱心なあまり、大学は不在がちだった」という評もある。
◆伝染性貧血など研究
帯広高等獣医は、戦時中の陸軍獣医の養成を目的に発足し、獣医学科は昭和三十年代半ばまで馬獣が研究の中心だった。
中でも伝染性貧血は、馬の赤血球が減り、やせ細り死ぬ原因不明の病気で、感染力の強さから治療法の確立が急がれた。
北大教授から就任した二代目学長の小華和忠士(内科学)、田村俊二(薬理学)らが研究に精力を注いだ。馬産から畜産へシフトし、研究は途中から先細りしたが、原因のウイルスはエイズウイルスと似た性質を持ち、「治療法を確立すればノーベル賞もの」とまでいわれ、血道を上げた研究が続いた。
また、昭和二十年代に、ビタミンB1の不足によって生じる腰ふら病が十勝でまん延した。上田晃(病理学)が勝農出身の獣医師、塩野谷勝己からの情報を受け、ビタミンB1の欠乏は、ワラビに含まれる酵素が原因であることを立証し大きな功績となった。
宮脇の提案で五四年に全国で初めて設けられた畜産繁殖学講座(発足時は酪農学科)も、研究の中心が馬産から畜産へ移ることを示すものだ。
担当を任された三宅勝は、馬専門のため、母校の北大の家畜産科の恩師に講義を依頼、「見ようみまねで研究を始めた」(三宅)が、後に人工授精の普及へと大きく開花する。同講座からは、受精卵移植の実用化に世界で初めて成功した金川弘司(北大名誉教授、日本獣医師会副会長、道獣医師会会長)らが育った。
また、六二年には獣医公衆衛生学講座が発足し、家畜微生物学専門の西武が担当、当時、でんぷん工場の廃液で汚濁した十勝川の水質調査に着手した。
◆母校発展支えた教官
獣医学科の教官は当初は、北大出身が多かったものの、後に畜大出身の教官が母校の発展を支える。その筆頭は、鈴木直義(家畜生理学、五五年卒)だ。
鈴木は、卒業後、東大で寄生虫感染症の基礎研究に当たっていたが、ドイツ留学で、人獣共通感染症のトキソプラズマ原虫を専攻。「母校にドイツのような原虫病研究の拠点をつくりたい」という夢を持ち帰り、文部省を説き伏せ、九〇年に原虫病分子免疫研究センターを開所した。今年度、センターは全国共同利用施設へ昇格し、さらに発展が期待されている。
家畜外科の広瀬恒夫(五七年卒)は、くぎなどの異物をのみ込み治療遅れの家畜が多いのに見かねて内臓の動きを画面上でとらえる世界初のX線透視装置、X線診療車を導入した。この成果で八二年に獣医臨床放射線学の講座が新設された。「当時、獣医学科の講座増設は通常、認められず、他大学からやっかみを買った」と広瀬は苦笑する。
(十勝20世紀取材班=平野明)(00.12.11)
(写真は「写真集 帯広畜産大学五十年の歩み」=帯畜大創立五十周年記念事業委員会発行=からの転載、文中敬称略)
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十勝の二十世紀はどんな軌跡をたどってきたのか。昨年十月から「開拓編」「政治編」「事件・事故編」「経済編」「文化編」「生活編」の六部にわたって展開してきた「十勝20世紀」は「最終編」を迎えた。これまで網羅できなかった出来事を振り返り、このシリーズの幕を閉じたい。
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