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| [2008.04.05] |
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| 元 帯広市長 田本憲吾さん |
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■5 行雲流水
直感で敗北覚悟、心境はサバサバ |
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直感的に敗北を覚悟しました。5選に挑んだ1990年市長選のことです。対抗馬は前回(86年)、1万票もの差で退けた高橋幹夫さん。周囲は「120%大丈夫」とみていましたが、運動期間の中盤から「おかしい」と感じていました。
市長となって16年。私自身も支持者もマンネリ気味になっていました。中川昭一、鈴木宗男両代議士のライバル関係を背景に保守内のきしみもあったのでしょう。「不徳の致すところ」とのみ語りました。敗戦の将、多くを語らず。サバサバした心境でした。
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| 最後の公務を終え、大勢の職員に見送られて市役所を後にする田本憲吾さん(1990年4月) |
最後の登庁日。公務を終えて市役所の玄関を出ると、大勢の職員が目に飛び込んできました。感激しました。一生懸命、まちづくりに取り組んできたことを職員たちは分かってくれていたのです。悲哀などではありません。すがすがしい喜びに包まれました。
その後はボーッとしていました。「燃え尽き症候群」というべきでしょうか。友人の白木弘遵さん(帯広大谷短大名誉教授)、山岸武さん(故人)らが心配し、まちづくりに携わる場を与えてもらいました。帯広長寿社会福祉協会です。少子高齢化問題を市井の立場から考えるのがテーマ。17年が経過しましたが、いまも勉強会を続けています。
2005年春、旭日小綬章を受章しました。大勢の職員の努力が評価されたのであり、個人の栄誉ではありません。祝賀会を勧められましたが固く辞退しました。すると田本時代を知る現役職員が、たまたま執筆した自分史「行雲流水」の出版を祝う会を企画してくれたのです。
助役を務めた塚本帝雄さん、秘書課長だった関寛さん(中道リース社長)、丁々発止の議論を繰り広げた元共産党市議の内田豊さんらの姿もありました。市長を務めてよかったと実感したひと時でした。
振り返ると、私の行動の源は信仰心(日蓮宗)でした。「個」より「公」を重んじてきたのです。ステーションビル(98年破産)の社長を引き受け苦労しましたが、貧乏くじを引いたとは思っていません。求められれば応えたい。健康なうちはボランティアで、帯広に恩返しをしたいと思っています=写真下は現在の田本さん。
(この項おわり、聞き手・能勢雄太郎。次回は丸山賢吉さんです) |
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■1990年帯広市長選■
現職の田本憲吾氏に、前回に続いて再出馬の高橋幹夫氏と加瀬谷敏男氏が挑んだ。田本氏有利の下馬評の中、高橋氏が4万1750票を獲得して初当選を飾った。田本氏を支える保守層が水面下で分裂、一部が高橋氏の支持に回ったとされた。 |
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