蝦夷地を愛し趣味に生きた漢
自由人 武四郎

11.子孫の強い意志


「世界に一つ。命よりも重いんだ」
戦禍くぐり受け継がれた史料

5代目の一雄さんインタビュー

■松浦家直系図■ 武四郎 ― 一雄 ― 孫太 ― 武彦 ― 一雄


 今回の展示作品約70点のうち大半は、松浦武四郎直系で5代目の子孫となる松浦一雄さん(69)=東京都在住=が、三重県の松浦武四郎記念館に寄託した史料300件の一部だ。十勝初のこの史料の公開が実現したのは、子孫に受け継がれた強い意志によって守り抜かれた結果でもある。一雄さんに子孫として武四郎の収集品や展覧会への思いを聞いた。(山本慶史)

― 武四郎が残したものを、松浦家ではどんな思いで守ってきたのか。


武四郎の5代目の直系子孫である松浦一雄さん

 「世界に1つしかないものだから、絶対に守っていかなきゃならん。命よりも重いんだ」。関東大震災を経験した祖父の孫太はそう言い続けていたようだ。母方の祖母も「決して手放すわけにはいかない」という強い意志を持っていた。

― 戦禍の中で収集品を守るには、大変な苦労があったのでは。

 1944年(昭和19年)ごろ、東京にも空襲が迫っていたので、神田五軒町から栃木県佐野市にある私の母の実家に疎開した。茶箱に入れた武四郎の収集品を家財より優先してトラックで運び出した。翌45年3月に神田大空襲があり、武四郎の収集品は一家ともども間一髪で逃れることができた。同年夏には、栃木県田沼町へ再疎開をしたが、そのころは車はもとよりガソリンすらなく、牛車のリヤカーで往復し、随分骨を折ったという話を聞いた。

― 一雄さん自身も収集品の手入れをしたのか。

 疎開当時はものがない時代で、シートなどなかったので、晴れた日を選んで虫干しするしかなかった。私の役目は紙包みを運んだり、虫がいないか点検したりすることで、母方の祖父には「触れる前に手を洗ってこい」とよく言われた。

― 幼いころ武四郎の遺品を見てどう感じたか。

 父の弟とその友人が蝦夷地全図の写真を撮影するため、全図を広げて大騒ぎしていた。1、2日がかりの大仕事だった気がする。幼心に、扱っているのは大事なものなのだと感じた。

― 一雄さん自身は先祖である武四郎をどうみているか。

 武四郎は、素晴らしいルポライターであると同時に、好奇心がおう盛で絵を描いたり山に登ったり収集に凝ったり、本当にエネルギッシュな人だったと思う。孫が生まれたときも「孫だ」と喜び、「孫太(まごた)」と名付けてしまうように、人間的にも面白かったのではないか。

― 一雄さんが寄託された史料が十勝で初公開ですが。

 北海道では名付け親として知られ、探検家のイメージが強いようだが、幅広い交友関係や趣味を通して武四郎の全体像を知ってもらい、後世へ伝えてほしい。「へえー」と思って楽しんでもらえたらうれしく思う。(おわり)(04.07.21)
 
「松浦武四郎〜時代と人びと」 23日から道立帯広美術館

 午前9時半―午後5時(月曜休館)。チケットは前売り・団体観覧料は一般400円(当日500円)、高・大生200円、中学生以下無料(心身に障害のある人は無料)。勝毎サロン、藤丸チケットぴあ、コープベルデなどで販売中。問い合わせは十勝毎日新聞社事業局(0155・22・7555)へ。

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