| 蝦夷地を愛し趣味に生きた漢 自由人 武四郎 1.国郡検討図の時代背景 |
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「蝦夷通」に白羽の矢 幕末期から明治初期にかけて蝦夷地(北海道)に6度にわたり足を踏み入れた男がいた。背丈1メートル50もない小柄な男だったが、当時、明らかでなかった内陸部に入り、つぶさに見聞し、それらの記録を基に数多くの蝦夷地関係の著作を残した。この男こそが、のちに「北海道の名付け親」と呼ばれる松浦武四郎だった。
■西欧列強の脅威 ■実績かわれ御用任命
そうした実績が幕府の目に留まり、55年(安政2年)に幕府の雇いとして蝦夷地御用を任命される。2年後の57年(安政4年)、「蝦夷地山川地理取調御用」を命じられ、内陸部の何百本もの川筋や膨大なアイヌ語地名を収めた「東西蝦夷地山川地理取調図」を完成させた。この取調図が、明治に入り刊行される「北海道国郡図」の国郡設定の段階で使われた「北海道国郡検討図」の原図となった。 検討図は2001年、北海道ホテルの林光繁会長(十勝毎日新聞社社長)が東京の古書展で見つけ、「北海道の原点を推敲(すいこう)した貴重な史料。道民の手元で有効に調査・研究されることが何より重要」として入手し、02年、道開拓記念館に寄託した。 北海道の名付け親として知られる松浦武四郎(1818―88年)の特別展・十勝毎日新聞社創刊85周年記念「松浦武四郎 時代と人びと」(十勝毎日新聞社、道立帯広美術館、松浦武四郎帯広展実行委員会、NPO十勝文化会議主催)が23日から8月22日まで、道立帯広美術館で開かれる。北方探検家として語られることが多い武四郎だが、同展覧会では「北海道国郡検討図」をはじめ、残した書画、骨とう品や書簡約70点を展示し、趣味人、ジャーナリスト、憂国の志士など多彩な顔を持っていた武四郎の素顔に迫る。武四郎の魅力とは何なのか。さまざまな角度からその人間像を探った。(山本慶史)(04.07.10)
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