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勝毎ジャーナル | KACHIMAI |
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送り手たち 社員で唯一、社長宅に下宿し家族同然に過ごした。「世話になった映画館が幕を閉じる。懐かしい思い出はそりゃあたくさんある。寂しさがよぎるね」と、目を潤ませた。 キネマ館は19年(大正8年)、映画よりも演芸公演が中心だった時代に市内西2南9に登場。翌年、故・夷石民夫氏が買収し80年余りの歴史をスタートさせた。現在のポポロビルは4代目になる。 通路にあふれる観客 48年(昭和23年)から約2年間、夜間の部の映写技師として勤めた本間辰弥さん(75)=帯広市=は「娯楽と言えば映画しかなかった時代。通路まで人があふれて、こんなもうかる仕事はないと思った」と華やかだった時代を懐かしそうに語る。上映は午後10時ごろまで。「妖怪物を上映した日には、真っ暗な帰り道が嫌だったよ」という。
昭和30年代に映画全盛期を迎えると、大々的な宣伝合戦が繰り広げられた。看板絵など宣伝物作りは、絵師のそろった看板部の仕事だった。菅野さんは「ほかの映画館に看板が掛かれば、みんなで出来栄えを確かめに行ったもんさ」と振り返る。劇中に登場するトンネルの縮小版や、10メートルもある鯨の張りぼてを作ったこともあった。毎回のように目を引く宣伝が並んだ。 時代の流れ受け止め 「キネマ館」の夷石行夫社長は「祖父(民夫氏)の代から続いた上映を、自分の代でやめるのは残念。今度どんな映画があるのか、先に分かるのがうれしかったけれど、これで普通の人と一緒になっちゃうね」と冗談で寂しさを隠す。元社員たちも一様に「仕方がない。いつかは来ると思っていた」と、時代の流れを受け止めている。十勝の人々を楽しませてきた一条の光が映し出す物語。その明かりが間もなく消える。(岩谷真宏)(03.11.25)
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