後藤吉平さん(音更町出身)
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「せわしくないのがいい」 南米中部パラグアイの首都アスンシオン市に向かう航空機の窓から、広大な平原を見渡せた。かつては原生林が広がっていたが、日本などからの移住者の手で切り開かれ、畑や牧場に変わっている。
「森林を分け入ってたどり着いた入植地は、街から30キロほど。街が近くて良い場所だった。2年かかって収穫した最初の作物は価格が安く、経費を引いたらもうけはなかったけれど、みんなよく頑張った」。移住の戦後第1陣に参加した音更町出身の後藤吉平さん(74)は、開拓に苦労した時代をはっきりと覚えている。 農業を営んでいて、新制中学建設地をめぐり地域の対立が起きた。「ちょうど新しい中学校区の境界にいて、対立の中心に置かれた。ごたごたに巻き込まれ、新しい地を求める気になった」。パラグアイへの移住話があることを知り、家族には自分から切り出した。しかし、当時の十勝支庁や道庁の職員は、南米についての知識は皆無。「中央の移住担当の責任者と会って、ようやく移住を決めることができた」と振り返る。 ■雑貨屋の店舗拡大
少しずつ拡張を続けた店舗は現在では、開店当時の10倍近い約500平方メートル。野菜や肉類、日用品が数多く並ぶ。移住者が「時代遅れの国に住んでいると思っているかもしれないが、そんなことはない。子供だって携帯電話を持っている」と説明するように、パラグアイの生活水準は決して低くはない。 今では、息子夫婦の五十六(いそろく)さん(31)と玉美さん(29)に店を任せ、店頭に立つことは少ない。後藤さんは、よく日焼けした顔に笑みを浮かべ店の奥にいた。「隠居の身。もういいしょ。この国は、日本のようにせわしくない。そこがいい」。長年暮らしたパラグアイへの愛着を示し、静かに笑った。(岩谷真宏)
<パラグアイ共和国>
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