共育キーワード

京都大学名誉教授 森毅氏の視点 【1】


★もっと変人を認めましょう★

自由化は改革の前提

好きなことやるのがいい


 2002年、学びの場は新しい学習指導要領の下、ゆとり、生きる力をキーワードに新しい局面を迎える。地域、学校、家庭が抱える課題は何か。教育を変えるカギとなる言葉とは−。これまで5部にわたり展開してきた年間キャンペーン「とかち教育新世紀」最終部では、管内外5人の識者の意見・提言を掲載、新しい教育に向けたヒントとしたい。

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「変人を認めましょう」とユニークな視点で語る森氏
<新学習指導要領について>

 だいたい先生に「生きる力」がない。ある県の教育委員会が教師を対象に調査をした。趣味などを含めた自分の目指すものと目の前にいる子供のどっちを優先するかと聞いたら、20代の先生は2割が自分のやりたいことを優先するという結果が出た。年代が上がるごとに増えて定年で10割が理想だけど、実際はぐーっと減って定年前の世代では自分優先がまったくなくなっている。
 これは逆で、退職とともに自分の人生がゼロになるような先生に教わっても子供に生きる力なんて生まれない。「あの先生は絵を描くのも好きやけど、ぼくらのこともちゃんと見てくれる」という先生が一番いい。定年になったら絵を描きながら楽しい人生を送るのが生きる力。子供の生きる力なんてどうでもいい。だから、日本の教育問題で一番大きな問題は中年がどうあるべきかだ。

素直に受け止め逆手に主張を
 新しい学習指導要領は文科省の言うことを素直に受け止め、逆手にとって主張すればいい。これまでは学習指導要領以外のことをやるのを禁じている面が強かったが、今回は指導要領さえやれば、あとは何をやってもいいと言っている。これはすごいチャンスだ。
 今、学校の自由化が叫ばれているが、究極の自由化は「今日は京大、明日は同志社」という具合に好きな大学の授業が選択できること。中学校でも数学はこの学校、体育はこの先生、と生徒が選ぶ。だから予備校は未来的な形態。同じサービス産業でいえば医療関係がすでにそう。自由化は教育改革の前提と言える。
 ただ、自由化になれば競争原理が働くが、20世紀と21世紀の競争は違う。例えば比叡山まで「ヨーイ、ドン」で競走する。足の遅いぼくはビリになるのが20世紀の競争だけど、どぶにはまろうが、川を泳ごうが「どこを通ってもいい」というのが今の競争。その代わりリスクは自己負担。足並みをそろえるのではなく、人と違う道を通ろうというのが自由化。
 ぼくは教科書を作っていたけど、AもあるしBもあるしと書くと全部ダメ。調査官にどっちか一つにして、と言われる。先生によって教え方も違ったり、生徒が好きな方を一つ選んだりするのがいい。教科書を薄くしてゆとりをつくろうとするのは間違い。アメリカの教科書は分厚い。先生も好きな所を教える、生徒も好きなところを読む。日本は国語にまだそんなところがあるが、一番ダメなのは数学。先生の自由度が一番少ない。だからゆとりが少ない。ゆとりを生むには自由度を高めることが第一。教科書を薄くせず、教科書にあろうがあるまいが、好きなことをやるのがいい。

使わない教科書図書室に並べて
 日本で一番悪いのは小学校から高校まで1年間で各教科1種類の教科書しか使わないこと。少なくとも各教科5種類ほどあるのだから、自分のところで使っていない教科書を生徒がいつでも手にとって見られるように図書室に並べて置くことを勧める。
 15年ぐらい前、神戸でいろんな業者の教科書を使って授業をしていた先生がいた。小6で班ごとに教科書を変え、子供は分数の計算の仕方を班ごとにコンクールしている。頼もしく思ったのは、小6でちゃんと教科書を選んでいること。この教科書が分かりやすい、分数はこれ、比例はこっちがいいと。

<子、親、学校が変わっていかねばならないこと>

 学校では「未来はどう変わるか分からないけどおもしろいよ」ということを教えないとダメ。ラジオで身の上相談していた時に、15歳の女の子が「私は25歳で結婚がしたい。大学出たら3年間しか勤められませんが、どうしたらいいですか」という質問があった。どうしようもない。10年後の未来を今の常識で判断してはいけない。時代の変化を感覚的にとらえるのが若者。変化を避けるのは良くない。15歳の時に決めたことが10年後に通用するのはものすごく困る。

「タヌキ」減って管理職力量低下
 最近は管理職の力量が低下している。昔は校長は「タヌキ」で教頭は「キツネ」が相場。タヌキは教育委員会に行って「うちは組合の闘士が多くてどうもならんから、うちのやり方でやらしてください」と言いながら、職員会議では「教育委員会でもこういっているからこのへんで行きましょう」と、AとBという対立価値の中をうまく渡る。
 それに対し、キツネの論理はAに行ったら「はい、分かりました」、Bに行っても「はい、分かりました」とやってしまう。最近の校長先生はタヌキ性が減っている。いろんな個性を持った先生をまとめていくのが管理。今度、校長権限が強まるからそのあたりをうまくやってもらいたい。
 少人数学習が話題になっている。いいことだけど、考え方が気に入らない。少人数は人間関係がデリケートになる。先生と生徒の間で気が合ったり合わなかったりして、人間関係のデリカシーを体験することになる。よく小学校なんかで「えこひいきはダメ」というが、あれは変。ある面、ひいきはあって当たり前。でも特別にやるのはダメというバランス感覚が必要。少人数になるとそれがもっと出てくる。一人ひとりに目が届き、平等に愛情を注ぎましょうなんて言うのはきれいごと。核家族、ひとりっ子、少子化問題の基本だが、一番危ないのは子供に愛情を注ぎすぎること。いかにコントロールして見ないようにするか。そうじゃないと子供にはプレッシャーになる。そういう感覚なしに少人数学習にされたらたまらない。目的が反対。

<あなたが考えるこれからの教育キーワード>

 もっと変人を認めましょう。変な先生や変な生徒は大歓迎。大切なのは協調性より社交性だ。

正しいことを教えなくても
 教師は他人に影響を与える職業だから危険な仕事。あんまり正しいことを教えなくてもいい。物事にはAもあるしBもあるということが多い。さしあたりAだと思うが、翌日にBかもしれないと言うこともある。教師がいくら賢くなっても生徒が賢くならないとダメ。結論を急がずに「分からんなあ」ということを言って一緒に考える。正しいことは自分で見つけて、間違った答えを選んでもそれは自己責任だ。
 いろいろあるから世の中面白い。だいたい一般論では改革は失敗する。だけど改革はしなければいけない。家の建て直しみたいなもの。世の中変わって面白いなあ程度に楽しんでおけばいい。(聞き手・岡村忍)(01.12.18)

森毅(もり・つよし)
 評論家、京都大学名誉教授。1928年東京都生まれ。京都三高(現京大)を経て東大理学部数学科卒。大学時代から執筆活動を始め、51年に北大理学部助手、57年に京大教養部助教授、71年に同大教授に就任。数学教育協議会副委員長を務め、数学、解析学の権威として活躍するかたわら、政治から教育問題まで幅広い社会文化評論を展開。91年の退官後もテレビのコメンテーターや新聞の書評、ラジオ、CMなどで活躍中。著書約100冊。73歳。



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