ダイオキシン汚染の恐怖
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埼玉県・くぬぎ山(上)

「すてきな林でしょう」。「“止めよう!ダイオキシン汚染”さいたま実行委員会」事務局長の下羽初枝さん(40)が車を止めた。指さす方向には、深い緑が広がっている。
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埼玉県下で今、ダイオキシンの発生が問題となっている。原因として住民が注目しているのが、埼玉県南部の所沢市、狭山市、川越市、三芳町が境を接する辺りに残る雑木林。通称「くぬぎ山」。半径500メートルほどの林の中に、10を超える産業廃棄物処理場が集中しているのだ。

車を下り、下羽さんと一緒に林へ踏み込んだ。少し歩くとへいが見え、煙突が突き出ている。水蒸気のような白い煙が巻き上がっている。さらに奥へ入ると、車1台が通れるほどの道に沿って、次から次へと焼却場が現れた。

横付けされたトラックには、住宅解体のごみだろうか、畳や建材が山と積まれている。ブルドーザーがうなりを上げて廃棄物を分類している。この日は稼働している炉は少なかった。「日曜日だから。臭いも黒い煙もないですね」と下羽さん。
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建材が積み上げられた処理場の1つ。この日は人けはなかった

林に隣接して7軒の住宅が固まっている。その前を歩いているとき、ちょうど住人の1人が車で帰ってきた。20年近くここに暮らす小谷栄子さん(46)だ。「緑が豊かで空気もきれい。いい所だったんですよ」。

小谷さんが異変に気づいたのは1991年のことだった。住宅からわずか100メートル、苔の美しかった所に業者が穴を掘り、産業廃棄物の野焼きを始めた。「異様な臭いがして、灰が降ってくる」。無人の林で夜を徹して廃棄物が燃えた。「赤い炎が家からも見え、まるで地獄の釜のようでした」。火事を心配して寝つけない日々が続き、消防署に通報したことも、警察や市、県に訴えたことも再三だった。

93年秋。市と埼玉県西部環境管理事務所の職員から説明があった。「炉を作るしかありません。野焼きは違法ですから」。がく然とした。小谷さんたちは野焼きが違法であることすら知らなかった。行政は一言も教えてくれなかった−不信感が心の中に広がる。

住民、行政、業者で話し合いを持つが「炉を作れば、業者は出ていかない」と反対する住民と「炉ができれば臭いも解消する」という業者。平行線のまま、94年6月に炉が来上がった。持ち込まれる産業廃棄物の量が増えるばかりで、においは解消しなかった。

同年12月。下羽さんらをメンバーとするごみ問題さいたまの会が現地見学会を行う。同行して林の中を歩いた小谷さん自身、驚きを隠せなかった。「こんなに焼却炉があるなんて…」。同会が動き出したことで、7軒の訴えは大きな住民運動へと広がり始める。しかしこの時点で、ダイオキシンという言葉は浮かんでもいなかった。(つづく・福本響子)


「止めよう!ダイオキシン汚染」さいたま実行委員会

95年、宮田秀明摂南大学教授がくぬぎ山や所沢の住宅地などで土壌調査を実施、ダイオキシンを検出した。結果を受けて住民の緊急集会が開かれ、実行委員会に発展した。 実行委員長は東京大学大学院に勤務する依田彦三郎助手。メンバーは所沢市を中心に住民約30人。 行政への要望活動、住民へのアピールなどを行いながら、環境回復を目指す。


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