ダイオキシン最前線
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ベトナム取材で戦慄〜枯れ葉剤の催奇形性告発



報道写真家 中村梧郎さん(上)
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中村梧郎さん

「大量の化学兵器が使用されたベトナムで、新しい世代に奇形が多発しはじめたことは、その時、まだ詳細には知られていなかった。それは、核兵器による放射能障害にも似て、化学兵器のもう一面の本性をのぞかせるものであった。しかもそれが過去のできごとでなく、現在進行しつつある事態ということに戦慄(せんりつ)をおぼえる。…」これは、中村梧郎さんがベトナム戦争後に現地を取材して記した言葉だ(新潮社「母は枯れ葉剤を浴びた」)。“現在進行しつつある事態”は、この時既にベトナムだけではなく、日本を含む先進国中にあることを中村さんは知っていた。

戦争写真家として海外の戦地を歩いていた中村さんは、ベトナム戦争が終わった翌年の1976年、ベトナム南端にあるカマウの森を訪れた。ここで撮ったものがその後の写真家としての生涯を決める。アメリカ軍が投下した枯れ葉剤(※注)によってジャングルが見渡す限り“死の世界”のようになった中を、裸の少年が遊んでいる光景だった。「毒がいっぱいだから行くな」と言う同行者を振り切って入り、少年を写した。人々の体は大丈夫なのかと村民に聞いて回り、たくさんの流産、死産の話を聞いた。この時まだ枯れ葉剤の真の被害は報道されていなかった。

当時、ダイオキシンを説明する本が日本で見当たらず、中村さんはアメリカの資料を集めて猛烈に調べ出した。81年に再び南ベトナムに渡り、散布地の被害状況を詳しく取材して回る中で、生後10カ月だった2重体児のベト・ドク兄弟に出会う。「初めて枯れ野原を見たときのような、2度目の大きな衝撃だった」。手足がぐにゃぐにゃに曲がった子供、ホルマリン漬けになった無脳症児。どれも枯れ葉剤を浴びた人の子だ。ダイオキシンが持つ催奇形性のむごい証拠を撮りためて、前出の著書で発表したのが83年だった。

中村さんが撮ったものは、生体実験とも表現されるベトナム戦争の極端な被害例だと思われるかもしれない。だが「実際に日本にもベト・ドクのような出生例はある」と中村さんは言う。60年代から今日まで使われていた枯れ葉剤の仲間の農業用除草剤や、ごみ焼却炉などから今までに排出されたダイオキシン量を推定すると、日本は既にベトナム戦争でまかれたダイオキシン量を超えているとみる学者もいる。

ベトナムを見た中村さんの目が、日本の隠れた汚染に注がれることになるのは必然だった。(年間キャンペーン取材班=山本薫)


なかむら・ごろう

報道写真家。1940年北京生まれ、長野県出身。83年ユージン・スミス賞にノミネートされた。著書に写真集「戦場の枯れ葉剤」(岩波書店)、「環境百禍」(コープ出版)など。ベトナムには毎年訪れ被害者のその後を撮影している。


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