ダイオキシン汚染の恐怖
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香川県・豊島(下)



豊島は小豆島の西約3.7キロにある人口わずか1,500人ほどの島だ。大正・昭和の社会運動家・賀川豊彦ゆかりの地であり、戦後の混乱期には、社会問題化していた遺棄児のために乳児院が開設された。米づくり、ミカン栽培などとともに酪農も盛んで「ミルクの島」と呼ばれていたことが乳児院開設の大きな理由だった
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残された産廃の処分方法は未解決。黒焦げたごみを手にする石井亨さん

高度成長がはじまり、島が過疎化をたどりだしたとき、独居老人の自殺を契機に乳児院の保母さんたちの奉仕で、お年寄りの収容介護が行われ、後に離島としては全国的にも珍しい特別養護老人ホームが開設された。このほか、知的障害者の更生施設や2つのグループホームなどがあり「福祉の島」ともいわれている。

不法投棄事件はそんな平和な島のイメージを根底から覆した。島の人たちの心に大きな傷を負わせることになった。「豊かなふるさとわが手で守る」をスローガンにほぼ全住民が参加している廃棄物対策豊島住民会議の中心的な役割を担っている石井亨さん(36)はこんな話を披露してくれた。「島の中学生が修学旅行に行ったら『ごみの島から来たのか』と言われたそうです。ごみを受け入れた『豊島の人間はアホや』とも…。精神的屈辱を子供たちも受けているんです。悲惨なことです」

島を出ていった人たちと、残った人たちの間にも溝が広がったという。「島を出た人も豊島出身と言いたがらない。出身者には『お前らが頼りないからこうなった』と言われることもある。公害によって地域社会が壊れて行くんです」。島の悩みは深く、悲しい。

昨年12月26日、高松地裁は処理業者に産廃の撤去と住民に対する総額11,085万円の慰謝料支払いを命ずる判決を出した。住民の全面勝訴となった。島の将来にやや明るさが見える判決だが、この51万トンに上る産廃を受け入れられる施設は全国で2万トン分しかないという。解決にはまだまだ長い時間を必要とする。

石井さんは「都市部の空気や河川は格段にきれいになり、一見公害を克服したかのようだが、実は排気や排水から有害物質を分離する技術が発達したのであって有害物質は発生しなくなったわけではない。有害物質はドラム缶など遠隔地に運ばれる。行く先は全国の過疎地だ。この問題を契機に環境だけでなく過疎地や福祉の問題を一緒に考える場として島を再生させたい」と語っている。

頼りにならなかった県行政、風評被害の大きさ、壊されてゆく人間関係、etc−。文字通り豊かな島だった豊島の現状は、豊かな食糧基地と言われる十勝にも実に多くの教訓を与えている。(つづく・夏川憲彦)

住民会議のインターネット・ホームページのアクセスは http://service.kagawa-net.or.jp/teshima/teshimaindex.htm

公調委の対策案

1995年、住民に [1]現場で中間処理、島外の管理型処分場に埋め立て(費用150−167億円) [2]島外撤去、島外の管理型処分場に中間処理して埋め立て(156−178億円) [3]島外撤去、島外の遮断型処分場に埋め立て(191億円)… [7]現状のまま現場に遮断壁などを設置し封じ込める(61億円)など7つの案が示された。 住民は[7]には絶対反対の態度。[3]が最善だが[1]でもやむを得ないとしている。


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