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十勝毎日新聞社
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Obihiro Tokachi Hokkaido Japan
[2008.07.03] >>> 目次ページに戻る
秋葉原連続殺傷事件の現場に設けられた献花台からパソコンで写真を送る山田さん
都会で



報道の最前線31歳…
親は定年間近、長男の責任

いつかは故郷?精いっぱいやるだけ

 「中央集権の日本では何事も東京が最前線。その中で働くことには大きな充実感がある」。産経新聞社写真報道局カメラマンとして日本各地、時には外国にも飛ぶ山田俊介さん(31)。正社員3年目。職業人として、1人の男として脂が乗り始めてきた。

 1996年に帯広柏葉高を卒業。1年間の英国留学を経て東京の専門学校でカメラを学んだ後、毎日新聞社の契約社員に。新聞や週刊誌に自分の署名が入るようになり、仕事に手応えを感じ始めたが、生活のため夜は飲食店でアルバイト。体力的、経済的に厳しい日々が続いた。

がむしゃらに駆け抜けた20代
 28歳で産経新聞社の正社員に。報道の最前線に身を置き、中国四川省の大震災では真っ先に現地入り。余震が続く中で凄惨(せいさん)な現場の状況を撮り続けた。8月には北京五輪の取材も控え、世界からトップクラスのカメラマンが集まる五輪でどれだけ力を発揮できるか。仕事の上で大きなターニングポイントを迎えつつある。

 長男だが、地元就職を親に強いられたことはない。2人の弟も本州で就職。両親に不測の事態が起きた時にはいつでも帯広に帰る覚悟はできているという。「その時、未練を残さないためにも20代はがむしゃらに駆け抜けた感はある」。高校の同級生が切り盛りする都内の飲食店で、ビールグラスを傾けながら山田さんは振り返った。

東京でしかできないこと
 見渡せば、本州に住む同級生の中にも郷里に戻る人が出始めた。地元就職の同級生は結婚、出産、マイホーム購入など都会暮らしの仲間より少しだけライフステージが進んでいる。だが今は焦りは感じない。「東京でしかできないこと、それは今の仕事。『何を撮るか』ではなく『どう撮るか』が大事だが、今のモチベーションがここ以外で保てるかと言えば分からない」。報道カメラマンという仕事は、誰もが望んで手に入れられる職ではない。

 ただ、結婚して子供が生まれた時、内面がどう変わるか予測はつかないという。仕事人としての充足感と家庭人としての幸せ。親の定年と長男としての責任。複雑に交錯する人生観への答えはまだ見つからない。

 「父は早くに両親を亡くして苦労した分、子供には自由にさせてやりたいという気持ちがきっとあるんだろうな。まあ、今は精いっぱいやるだけだ。またな」。高校の時と変わらない笑顔で去った背中からは、最前線で勝負する覚悟のようなものが伝わってきた。
(高田敦史)
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