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十勝毎日新聞社
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Obihiro Tokachi Hokkaido Japan
[2008.01.12] >>> 目次ページに戻る
柴田氏愛用の腕時計と眼鏡
8. 家族葬(上)



友人と過ごした洋間
一角にできた祭壇
最後まで温かく

 2007年8月20日の夜、30人余りの喪服姿の人が集まった。真夏日を観測したこの日は、夜になっても汗ばむほどの暑気が室内に残っていた。

 整形外科医として地域医療に貢献したしばた整形外科クリニック(帯広市西2北1)の名誉院長、柴田憲慶氏(享年73歳)の葬儀は、40年間過ごした自宅で営まれた。約20畳の洋間の一角にある4畳半ほどの小上がりに祭壇がしつらえられた。故人がかつて友人とマージャンに興じた空間だ。

 参列したのは家族、親せき、親友らごく近しい人だけ。僧侶の読経が響く中、それぞれの思いを胸に別れを告げた。

洋間にある憲慶氏の仏壇
一番喜ぶことを
 「自宅で送り出すことができたのはすごく幸せ」。妻・洋子さん(68)はしみじみ語る。長男・昇氏(40)も「おやじが一番喜ぶことを考えて自宅葬を決めた」。

 しかし、最初から自宅葬を計画していたわけではない。亡くなる5日ほど前、昇氏は業者を呼んで葬儀について協議。会葬者を1000人と見込んで斎場を借りる見積もりをもらっていた。

 病床で腹部の痛みを訴える父親。医師ばかり4人のきょうだいらで話し合い、鎮静剤(モルヒネ)の投与を決めた。胃から転移したがんは肝臓の大部分を侵していた。医師としての知識と子としての感情…。さまざまな思いが交錯する中、痛みを和らげたい。そんな結論に至った。

 鎮静剤を打った後の父親は、目を動かす程度で会話はできない。2日ほどして静かに逝った。みとって間もなく、昇氏は「近親者だけで送り出そう」とひらめき、葬儀の予約をキャンセルした。

 「苦しむおやじの姿と、家族で送り出そうと思ったことはリンクしている」と昇氏。洋子さんは「(憲慶氏の)愛車に棺(ひつぎ)を載せて息子が運転し、私と愛犬が同乗して火葬場に向かった。最後まで心のこもった温かい雰囲気だった」と振り返る。

 帯広市内の福岡勝美氏(70)=仮名=は昨年11月、市内の一般斎場で母親(享年91歳)の家族葬を催した。10年ほどの入院中に故人と縁のある人の多くは他界。3年前に父親の葬儀を営んだばかりで、「故人と直接付き合いのない人に参列させるのは申し訳ない」と身内での葬送を決めた。

 子は8人。異を唱える人もいた。しかし、母親が生前「子供たちだけで送り出してほしい」と話していたこともあり、最後はみな納得した。

浸透にはなお時間
 予想した30人を大きく上回る100人余りが参列。福岡氏は「通常の葬儀と同じぐらいの人が集まった。簡素化したのに費用も100万円を超えた。家族葬は増えると思うが、浸透するにはまだ時間がかかるのでは」と苦笑いする。
(吉良敦)

(題字は長沼透石氏)


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