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十勝毎日新聞社
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Obihiro Tokachi Hokkaido Japan
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[2007.06.07]
大樹 <上> 宇宙
宙に浮いた基地構想 人脈で“着地”

 「大樹から大気圏外へ。大樹から宇宙旅行だ。町の子どもから航空宇宙の技術者が出てほしいね」。ロケット模型などが並ぶ大樹町の町長室。伏見悦夫町長=写真=は将来の町の姿に思いをはせる。

 「宇宙基地」誘致でまちづくり−。夢のような話をと、かつては一笑に付されたこともあったが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の科学観測気球実験場の町多目的公園への移設が決まり、将来的には米・ロケットプレーン社による「宇宙旅行」発着地の候補になるなど、夢はしだいに現実味を帯びている。

 関係者の来町で、地域への経済波及効果も出る“宇宙”のまちづくり。挫折を乗り越えての着実な歩みは、恵まれた「地の利」と、行政、町民が地道に築いた「人脈」に支えられてきた。

東側(上部)の太平洋に向かって開ける大樹町美成地区にある町多目的航空公園。町が造った滑走路が宇宙のまちづくりの舞台となる
海開ける広大な地恵まれた「地の利」
 「立地の優位性に恵まれていたことはハード面の大きなプラス」。町総務企画課で航空宇宙を担当して8年目の黒川豊さん(46)は語る。

 東側に海が開け、気候の安定した美成地区の広大な平たん地は、航空宇宙関係者を「国内にこんな好条件地があったのか」と驚かせた。1986年ごろ、若き職員だった黒川さんは、来客のたびに「何もない林だった」美成を案内した。

 当時、旧北海道東北開発公庫が宇宙基地候補と着目した同地区だが、伏見町長は「実は旧NASDA(宇宙開発事業団)が種子島に基地を造った際(69年)も大樹を調べていたらしい」と明かす。国内有数の好適地に、地元の熱意が加わった十数年後、航空宇宙基地誘致の歩みが始まった。

東大教授来町が誘致の第一歩
 85年6月12日、東京大宇宙科学研究所の教授が来町したのが、町の誘致の歴史に残る第一歩。当時、期待されたのが、“種子島後”のロケット発射場誘致だった。

 「ロケットなんて外国で打ち上げるものと思っていた。でも話を聞くと面白い。これは良いと勉強した」と当時開発振興課長だった伏見町長。故・野口武雄町長を先頭に取り組み、86年6月には種子島宇宙センターも視察した。しかし88年7月、来町した事業団幹部から聞いたのは、「打ち上げは種子島で継続」だった。

着実な歩みで誕生研究者間に応援団
 この窮地を救ったのが「人脈」だ。約3年間の誘致活動で、研究者間には大樹の“応援団”が生まれていた。

 肩を落とす町関係者に、事業団研究者から「日本版スペースシャトル計画で自動着陸制御システムの実験地を求めている」との情報が寄せられた。

 海に向かって延びる1キロの滑走路。実験誘致に向け、町が建設に着手した町多目的航空公園(美成)だ。しかし、約2億3000万円をかけた公園の完成前年の94年、再び挫折が訪れる。「9割9分大樹で実施」とみられた実験地が、オーストラリアに決まったのだ。

 失意の底に沈む町関係者。だがこの時に滑走路を造っていたことが、その後の数々の実験誘致へのターニングポイントとなった。
(小林祐己)


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