年間キャンペーン第3部
人材の掛け橋
パイオニアたちの挑戦

陸別「ラリージャパンを成功させる会」・浜田始さん(55)


夢とロマンを重ねて
地道な活動成功支える



■常に危機感

 一度でも失敗すると、WRC(世界ラリー選手権)の話は消し飛び、地域のビッグチャンスを棒に振ることになるという危機感が常にありました。ここでやらなければ、僕自身が一生後悔すると必死でしたね。でも正直、自分の夢とロマンを重ね合わせたからこそ、ここまでやれたのだとも思います。

 2004年9月、モータースポーツの世界的イベント、WRCが日本で初めて、十勝を舞台に実現した。4日間にわたる期間中の観戦客数は延べ21万人。セレモニアルスタートが開かれた帯広の夜は、かつてない大群衆で埋め尽くされ、沿道では大勢の観衆が走り去るマシンに大声援を送った。十勝はWRC一色に染まり、閉会後には関係者から「これほど熱狂的な大会は世界に例がない」と絶賛された。この瞬間、十勝は日本のラリー文化を象徴する地となったが、そこにたどり着くまでには、地域による舞台裏の地道な活動があった。

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WRC誘致に夢をはせ、地域支援態勢の確立を進めてきた浜田さん

 WRC誘致の話を持ち掛けられたのは7年前のことです。実現のためにはまず、国際規格の大会を連続開催して成功の実績をつくるという条件があり、そのために何をしたらいいのか最初は手探りでした。ただ、1999年のニュージーランドのWRC視察は大きな収穫でしたね。現地は熱狂的に盛り上がり、ここに成功の秘けつを見いだせた気がします。

 でも、ラリーは当時、国内では極めてマイナーなスポーツでした。海のものとも山のものとも分からないラリーをどうやって一般に定着させ、協力を仰ぐか見当もつきませんでした。最初は町内のオフロード競技関係者に声を掛け、01年の「インターナショナルラリーイン北海道2001」で大会運営のボランティアをすることにしたのです。

 陸別町の有志が取り組んだこの活動は後々、WRC誘致を決定付ける原動力となった。地域のサポート態勢こそが「開催地としてのふさわしさ」の評価基準上、重要な意味を持っていたためだ。これを機に、翌年以降の大会では、足寄、新得の両町などで地域住民主導による「成功させる会」が次々に発足。ついには、WRC開催を軸にした全十勝的な「ラリージャパン支援歓迎実行委員会」も立ち上がり、ラリー文化を支える地域のサポート態勢が確立した。

■人の輪が力に

 夢やロマンは人に伝染していくものだと、今になってつくづく感じています。WRC開催が決まった時は仲間と抱き合い、こぼれ落ちる涙を止められませんでした。目的を1つに結集した人の輪は何よりも強く、とてつもない力になると痛感しました。WRC開催なんて、僕たちにとって夢のような話でした。でも、それはこうして現実のものになったのですから。

 今月22−26日には「アジアパシフィックラリー選手権(APRC)第4戦ラリー北海道」、そしてこの秋にも「WRC第13戦ラリー・ジャパン2005」が十勝で開催される。各地に広がった地域の支援の輪はすでに、今年の大会成功に向けて動きだしている。

 これまではWRCの開催実現が目標でした。しかし今後は、いかに地域の一大イベントとして継続開催させていくかが重要になります。定着と振興が最優先され、衰退は決して許されません。輪を広げるのは本当の意味で、これからが正念場です。

(杉原尚勝)(05.07.05)

<陸別・ラリージャパンを成功させる会>浜田さんが陣頭指揮を執り、「インターナショナルラリーイン北海道2001」でボランティア活動した陸別町民有志を母体にしている。02年に、大会支援の住民組織として正式に会を組織。管内他町村で支援組織が立ち上がるきっかけとなった。

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