年間キャンペーン第2部
通い合う心
検証 コミュニケーション力

まつり「継承」


地域への愛着育てる器
世代の壁越えた連帯感醸成カギ


姿を消した町の代名詞

 1月1日午前0時。芽室町の中心部は、17年ぶりに静寂に包まれた。「ソイヤ、ソイヤ」。「裸みこし」の荒々しい掛け声は聞こえない。厳寒を吹き飛ばし、年の始まりを全国に告げた活気を、町民は心に描くほかなかった。

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有志が人を育て、地域を結ぶ紐帯(ちゅうたい)として祭りへの挑戦が続く(昨年8月の平原まつり「夢降夜」)

 「もったいなかったが、仕方なかったんだ」。芽室裸みこし担ぐ会代表の熊谷光弘さん(51)=同町在住、会社経営=は裸みこしを昨年で終了させることを決断した心境を、自らに言い聞かせるように振り返る。

 「芽室を全国に発信したい」。当時30代の熊谷さんら有志の酒のみ話を発端に、裸みこしは1988年に産声を上げた。干支(えと)みこしを辰(たつ)から順に1基ずつ足し、元旦に日付が替わると同時にさらし姿で中心部を練り歩いた。テレビで全国紹介され、芽室の祭りの代名詞となった。

 念願の十二支が勢ぞろいした99年には約1000人の参加でピークを迎えたが、明確な次の目標を失い、出陣する担ぎ手・みこしとも減っていく。熊谷さんは打ち明ける。「後継者づくりに失敗した。若い者に頼むより自分で動いた方が早い。仕事や地域の重責も抱える中で、育てる手間を惜しんでしまった」

成長続ける帯広「夢降夜」

 成長を続ける祭りもある。昨年8月14日夜、帯広市の中心街を熱気の渦と変えた祭典「夢降夜(ゆめふるや)」。帯広三大祭りの1つ「平原まつり」を若者の活気が彩り、観客を含む総勢500人余りが乱舞した。

 夢降夜は、勇壮なみこしがぶつかり合う平原まつり名物「ケンカみこし」が担ぎ手の減少などを理由に2001年の15回で幕を閉じ、その後釜として翌年に初登場。YOSAKOIソーランの20、30代のメンバーが中心だが、農作物をあしらったみこしなど農業王国・十勝の魅力を打ち出す。

 「YOSAKOIがみんなで踊る一体感や充実感を教えてくれた。でもそれはあくまで札幌の祭り。十勝人として独自の祭りをやりたかった」。運営委員長の類家直人さん(33)=帯広市在住、自営業=は立ち上げの動機を語る。「十勝で暮らす心のよりどころがほしい」。原点のYOSAKOIを踊りつつも、夢降夜に懸ける。

 3回目の昨年、初めて高校の吹奏楽部を登場させるなど、さらに若い10代の取り込みに意欲をみせる。「自分の子や孫が担い手になるまで続けたい」と願うが、若く新しい祭り故、逆に上の世代との関係は希薄だ。

 祭りは、神や自然への感謝をさまざまに表すことで“ハレ”を現出、平板な日常を活性化する営み。手渡しの伝承を通し世代が結び付き、地域の一員としての意識や連帯感を醸成する。世代の壁を越えて一過性のイベント主義を克服し、いかに地域のきずなとして祭りに魂を吹き込み続けるか。熊谷さんが挑んだ夢であり、類家さんが直面する難題。すなわち、十勝の各地域が抱える課題だ。

再生した子供みこし

 再生した祭りがある。帯廣神社の秋季例大祭の「子供みこし」。昨年9月、「ワッショイ、ワッショイ」と境内に子供たちの掛け声が数十年ぶりにこだました。

 復活させたのは帯廣神社子供御輿(みこし)の会。会長の大竹慎一さん(50)=帯広市在住、会社経営=は、京都の学生時代に祭りに目覚めた。今回、その「祭り男」を突き動かしたのは、かつて中心メンバーだったケンカみこしを継続できなかった悔しさだ。

 「子供時代に祭りの面白さを体で味わえば、大きくなっても自然と祭りに参加するもの。それが地域への愛着につながるはず」。地域の祭りを見つめ直し、子供にそのだいご味を原体験として伝える。大竹さんの姿に、人と地域をはぐくむ器としての祭りを取り戻す1つのカギが隠されている。

(栗田直樹)(05.04.07)

〈十勝の祭り〉十勝観光連盟などによると、最も規模が大きいのは、8月の平原まつり(57回)、10、11月の菊まつり(35回)、1月の氷まつり(42回)の帯広三大祭り。管内外の計約37万人が毎年楽しむ。管内では観光PRも行うイベント的な祭りは90以上あり、神社や町内会の祭りも含めると相当数に上る。

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