年間キャンペーン第2部
通い合う心
検証 コミュニケーション力

ミニFM「地域密着」


「共同体」の心つなぐ媒体に
「聴く」「作る」育て合うのが理想


熱い思いが電波で町に

 「まちの中心部からまちの情報発信を−」。1999年、まちの活性化を狙いに、十勝で2つのミニFMが開局した。著しく微弱な無線局ながらも、「郷土を盛り上げたい」という有志たちの熱い声は、町中に響き渡った。

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「郷土の活性化を」という熱い思いが結集して開局したミニFM。町をつなげる媒体として、その行方が注目される(1999年に開局した芽室町のFM.Sta.BEAT)

 管内でいち早くミニFM局を開いたのは、芽室町のNPO法人「FM・Sta・BEAT(ステーションビート)」。開局当時からのメンバー、西科純さんは「本来は町おこしのための人材育成が目的で、ほかの媒体も考えていた。町に点在する人材をつないでネットワークをつくる媒体として、最適なのはラジオだと思った」という。

 町内の学生や自営業、農業、商業など幅広い職種の10代から40代までが結集。「何を話してもOK。ただ、必ず町に関する話題を」という柱で製作。JR芽室駅舎のスタジオを拠点に、公開生放送を交えたビールまつりも開き、リスナーとつながる機会を設けてきた。

 しかし軌道に乗ってきたころ、ミニFMならではの壁に直面。「聴取範囲が制限される中では活動の広がりに限界が感じられた」(西科さん)

 当初は聴取者からの反応も上々だったが、時を重ねるごとに停滞。聴取できる人が限られてくるため、聴く側も放送する側もマンネリ化する−という悪循環に陥ってしまったのだ。現在は放送を休止し、講演会や先進地視察などで活動内容の再構築に努めている。

 「今は“ラジオによる町おこし”という原点を見つめ直している。経営や技術、人材育成という観点から洗い直し、芽室という町に見合ったやり方を研究中。これからが正念場」と西科さんは語る。

きっかけは空き店舗対策

 一方、放送休止から自然消滅してしまった局も。帯広広小路商店街の空きビルに開局した「SORA(ソラ)」は同年9月、同商店街振興組合の空き店舗対策として設置。

 同組合の南正彦事務局長は「放送を聞いていたのは2、3軒の店だけ。ラジオを運営していたスタッフと、商店街との円滑な意思疎通が図れなかった」と振り返る。

 市と同組合から事業費200万円が助成。ビル2階にラジオ局とカフェ、3階に「まちづくりサロン」を開設。全体で「関係づくりの店」と名付け、市民が交流する拠点を目指した。

 10代から50代まで、約30人のボランティアが運営。放送内容は「商店街のランチ情報」「若者の流行」など多岐にわたった。開局の勢いが過ぎ去ったころ、その数は徐々に減り、最終的に残ったのは5人ほど。

不十分な支援態勢

 DJとして参加していた火ノ川好信さん(31)は「本来は地域を守りたい、育てたい−という思いが先立つべき。『面白そう』『人前で話したい』と集まった人は、次々と辞めていった。資金も自分持ちではなく、責任を持って取り組む姿勢が足りなかったのだろう」と指摘する。

 その後、他団体が運営を担ったが、経営の難しさもあり、ラジオは広小路から姿を消した。「若者たちも『商店街の役に立っている』という反応が得られれば、続けていたかもしれない。彼らを受け入れる支援態勢が、商店街の中では不十分だった」(南事務局長)

 ラジオは地域ならではの問題を提起し、視聴者は要望を伝える−。相互が育て合う関係こそが、地域密着型ラジオの理想ではないだろうか。まちの情報を共有して人がつながり、町全体が1つの共同体としてつながることも可能になる。「わが町を盛り上げたい」という住民の意志がある限り、心をつなぐ媒体としてのラジオは、さまざまな可能性を秘めている。

(梅庭寛子)(05.04.06)

〈ミニFM〉著しく微弱な電波で放送するため、免許を取得しなくても開局が可能。管内では鹿追町にも「FMピュア」が2000年に開局、不定期放送を続けている。帯広市と芽室町のミニFM局は、1999年当時、空知管内奈井江町や根室市に次ぐ開局。これらに対し、「エフエムおびひろ」(FM−JAGA)などのコミュニティー放送局は、放送免許が必要。

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