ゆとりへの旅路
全国活性化ルポ

福地温泉


「全体でのもてなし」意識
看板や建物“紳士協定”

 全長4310メートルの安房トンネルを抜けると、そこは奥飛騨温泉郷だった−。小説の書き出しではないが、目の前に開けた光景はまさに日本の情緒を感じさせた。

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2代目たちが奮起

 登山好きならだれもがあこがれる北アルプスを抱き、「露天風呂の里」と呼ばれる奥飛騨。人口4000人の岐阜県上宝村にある、5つの温泉街で温泉郷を形成する。

 その中で最も注目されているのが、わずか13軒の宿から成る福地温泉だ。幹線道路から外れた谷にあり、観光資源の北アルプスは見えない。露天風呂ブームの昭和50年代、好景気に沸いたバブル時代にも、押し寄せるスキー客や団体客でにぎわう他の温泉街の“おこぼれ”をもらうような、目立たない存在だった。

 「北アルプスもなければ、近代的な施設もない。あるのは温泉といろりだけ。だったら、昔ながらの雰囲気で福地を売り出していこう」。そう立ち上がったのが、福地温泉観光協会の中野富美男会長(53)=旅館「故郷(ふるさと)」代表=を先頭とする30−40代の2代目たち。学生時代は都会で過ごし、奥飛騨の良さを外の視点で知ることができる世代でもあった。

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宿泊客なら誰でも利用できる「舎湯」。いろりで一服し、外には幻想的な冬景色が広がる

古い民家移築も

 「10室前後の宿が多く、団体客を扱う旅行代理店に相手にしてもらえないような所だった」と中野会長。2代目たちは福地温泉唯一の居酒屋で酒を酌み交わし、まちづくりを熱く語り合った。

 行き着いた結論は「観光地化で多くの人を呼び込むより、訪れる人の記憶に残る温泉地でありたい」。そのためには、1つの宿だけが繁盛してもしようがない。「温泉全体で人をもてなす発想が大切」と多くが意識するようになった。

 植樹に始まり、看板の統一や、木の高さ以上の建物は造らない“紳士協定”も。いろりのない宿は新設し、奥飛騨や東北に残る古い民家を移築する宿もあった。

 宿泊した宿の浴衣を着れば、他の露天風呂も1軒利用できる「のくとまり(温まるの方言)手形」もスタート。2002年11月には、宿泊客ならだれでも利用できる足湯といろりの「舎湯(やどりゆ)」が温泉街のほぼ中央に完成した。

 「ほんの5、6年前は、雪に閉ざされ宿泊客もいなかった。冬にも客が来るようになったのはごく最近」(中野会長)。協会予算の半分以上をつぎ込み、関西方面の大手情報誌で「日本の本格的な冬の雰囲気を味わえる場所」をPR。イメージづくりと情報発信も怠らなかった。

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旅館は地域の文化

 貸し切りの露天風呂に漬かる。雪がしんしんと降り始め、風景に溶け込むような錯覚に陥る。温泉街なら当たり前のカラオケも、便利なコンビニエンスストアもここにはない。“何もない”ことが、こんなにぜいたくだとは思わなかった。

 中野会長は「旅館は地域の文化」と断言し、「まちづくり、人づくりは始まったばかり」と言う。その福地温泉を、他の4つの温泉街が追いかける。同温泉郷観光協会の中本茂専務理事は「福地が温泉郷全体の良い刺激になっている。奥飛騨は良くも悪くも、ブームや他力に助けられてきたところがあった。これからは各温泉街がそれぞれの資源や魅力を生かしながら、地域づくりをしていく時代」と力を込めた。(酒井花)(04.1.3)

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 地域振興のけん引役として「観光」の重要性が改めて注目され、各地でまちづくりと一体となった戦略的な取り組みが動き出している。社会が成熟し、観光形態も多様化する中で、地域固有の資源をどう磨き上げていくかの視点が問われる時代になった。年間キャンペーン第1部では、そんな“質の観光づくり”を実践する、国内の先進事例や奮闘中の取り組みを紹介する。

<奥飛騨温泉郷>上宝村の平湯、福地、新平湯、栃尾、新穂高の5温泉街の総称。東京・新宿から高速バスで約4時間。163軒の宿があり、収容人数は9912人。新穂高ロープウエー(1970年)、乗鞍スカイライン(73年)の開通などを契機に観光客の入り込みが増え、98年の約163万人をピークに、現在は85万人前後で推移している(奥飛騨温泉郷観光協会調べ)。

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