長野県山口村 −下−

◇「総意」の裏で揺れる心情◇

住民投票求める動きも

 「単独でやれないほど、財政が悪化しているとは思えない。村の努力が足りない」「アンケートの結果で出た中津川市への合併は村民の総意ではない」

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「住民全体でもう一度、合併問題を考えるべきだ」と、賛同を募る署名活動などを展開する「山口村を考える会」のメンバーたち(後方左が可知村議)

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「もっと考えるべき」

 6月20日夜。山口村のある住宅で、5月に発足した合併問題を考える住民組織「みんなで考えよう山口村の会」のメンバー十数人が、合併問題について議論を交わす場を取材した。アンケート結果を基に「越県合併は村民の総意」と強調した加藤出村長の言葉とは裏腹に村民は揺れていた。
 発起人の1人、可知和人さん(53)は、与党の自民党系村議。3月末、村議会の特別委員会が9対2で中津川市との合併を可決した際、自民党系ではただ1人反対。独自で住民に合併への意見を求める「合併問題これでよいのか!」と題したビラも作製、配布した。「合併に絶対反対ではないが、本当に合併の道しかないのか、合併先も中津川市が住民にとって適当なのか、全体でもっと考えるべきだと思った。国民健康保険料の負担や各種サービスがどう変化するかも見えない。もっと情報を公開してほしい」と説明する。
 同会では現在、会の趣旨賛同者の署名を集めている。まだ集計中だが、可知村議は「26ある地区ごとに募っているが、各地区とも6割ほどの人の署名が得られている」とする。最終的には、「合併の是非を問う住民投票の実施を求めていく」考えだ。

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四十数年前の悪夢

 同会の30代女性のメンバーは「気持ちでは皆、山口村を残したいと思っている。だが、四十数年前の悪夢を考えると、口に出して反対を唱える人は少ない。反対行動はなおさらだ」と複雑な住民の思いを代弁した。
 中津川市との越県合併の浮上は、今回が初めてでない。「昭和の大合併」と呼ばれた1958年、「馬籠宿」が属する旧神坂村が中津川市への編入を目指したが、村は分断され、山口村と中津川市に編入された歴史を持つ。村内は賛成派と反対派の激しい対立が続いた。反対派の旗印とされたのが、島崎藤村の生誕地「馬籠宿」だった。
 「『信州の藤村を美濃(岐阜県)に渡すものか』とすごい闘いだった。家には賛成、反対を示す看板を掲げ、異様な雰囲気。口論ばかりでなく、殴り合いも日常茶飯事。機動隊が出動することもあった」。当時、小学生だった神坂地区(旧神坂村)に住む女性(52)は当時の様子を説明した。
 その影響からか、馬籠がある神坂地区に住む人たちの口は重い。「藤村記念館」を運営する財団法人藤村記念郷理事長の大脇修二さん(59)は「記念館としては静観を決めている。ただ、馬籠が岐阜県になることに、個人的には寂しく思う」と言うにとどまる。だが、大脇さんの下には、信州でなくなることを惜しむ藤村ファンからの電話や手紙が絶えない。

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「合併せずに残って」

 村は任意合併協議会と並行し、村民100人規模の村合併問題協議会を6月21日に設置した。加藤出村長は「情報はどんどん公開し、村民が納得してもらえるよう協議したい」と意気込む。
 経済効率の上では、全国的に市町村合併は避けられない面がある。しかし、人間の心はそれだけでは割り切れない。中津川市へ仕事に通う若い女性が「ふるさとが消えてしまうのは何とも言えず寂しい。できることなら合併せずに残ってほしい」と話していたのが印象的だった。 (佐藤いづみ)(02.7.4)

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