関係機関との連携も不足 市の対応に不手際も
帯広空港への在日米軍機乗り入れ問題は、二十七日の再着陸を米軍側が中止し、ひとまず収束した。しかし、二十四日の無許可着陸の理由や経緯は依然として不透明なままで、根本的な問題解決には一向に近づいてはいない。無許可着陸という前例のない事態に直面し、市や空港関係者は終始、動揺を隠し切れなかった。四日間にわたった一連の騒動の中で露呈した三つの問題点を検証する。(政経部=本田裕一、社会部=小川翼)
「窓口が分からない」と市混乱
窓口が分からない」。問題発生から収束まで、空港管理者の帯広市はこの言葉を繰り返した。
市は事前に陸上自衛隊第五師団幹部から「二十四日に米軍機が帯広空港を使用する可能性がある」との情報を得たが、確認できず乗り入れの日を迎えた。着陸後も第五師団、帯広防衛施設支局に問い合わせたが、双方とも「窓口ではない」。市の調査はそこでストップした。
また、当初、第五師団サイドから横田基地(東京)出発と伝えられたが、管制官に提出されたフライトプラン(飛行計画)では厚木基地(神奈川)になっていた点など、市、運輸省、防衛庁との間で情報が錯そうし、関係機関の連携に課題を投げ掛けた。
岡島悦弘商工観光部長は「その後の調査で窓口は外務省日米安全保障課ということが分かった。各機関との連携も深めていきたい」と話している。
不測の事態へ不安を残す
また、今回のケースは、運輸省関係者が「普通、空港管理者に届け出がある。段取りもせず降りることになったのは珍しい」と話すなど、まさに“不測の事態”。空港管理者である市の危機管理能力が問われた。
ところが、市にこうした問題に対処するマニュアルがないのが実態。また、二十四日は市議会産経委の開会中で、報道機関などへの発表は離陸後までずれこんだ。三佐川剛一所長は「議会の中で報告しようとしたが、論議が長引いたため」と説明するが、緊急時の不手際も目についた。
市議会でも、二十八日の産経委で、村中庸晁委員(民主・市民連合)が「窓口探しに右往右往し、情報収集能力不足を感じた。危機管理についてどのように考えているのか」と指摘。
砂川敏文市長は「市民の安全を最優先する」と答えたが、ハイジャックなど不測の事態が起こった場合、責任者の市がどのような対応をするのか−不安を残した結果となった。
あいまいな市側の姿勢
ただ、今回の米軍機乗り入れをめぐっては、二十四日の無許可着陸の直後から、再乗り入れの可能性があることは歴然としていた。市は窓口が分からないなりにも、米国大使館や札幌領事館に出向いて直接交渉を行うなど、“意志”を伝える手段が全くなかったとは言えない。
実際、八五年に米軍が当時浦幌町にあったロランCへの補給物資調達を理由に同空港使用を通告してきた際には、当時の田本憲吾市長が外務省に赴き、直談判している。結果的には着陸を受け入れたが、覚書を交わした地元住民への誠意はくみ取れた。今回の場合は、ただ口頭で「遺憾の意」を繰り返した砂川市長に対し、一部の市民団体が「もっとき然とした態度を」と突き上げた。
米軍側が乗り入れの根拠とした日米地位協定については「空港を使用できる」との解釈が最有力とはいえ、「管理者・地元の意向など一切関係ないというほど絶対的ではない」との見方もある。市が真に「地元住民の感情、覚書を尊重する」(砂川市長)のであれば、“無条件降伏”することにも疑問は残る。
大規模演習場を抱え、たびたび日米共同訓練の舞台となる十勝には、今後も米兵らが来訪するのは確実。今回のような事態も当然起こり得る。市はそのたびに場当たり的な対応を繰り返すのか―。結果以前に、できる限りのことはする必要があるだろう。
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