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【年間キャンペーン とかち 新・働く考】農の現場から~本別・井原牧場の場合(5)

  • 2013年9月19日 13時33分

4人の孫に囲まれる伸治さん(中央)とまゆみさん(左奥)。息子たちの牧場経営を温かく見守っている(金野和彦撮影)

父の思い
厳しい時代 生き残り託す
3年かけ継承

 8月の初め、父の伸治さん(64)がいつもより早く牛舎から戻ってきた。

 「克知から『お父さん、早く帰っていいよ』と言われてさ」。搾乳後の片付けをしなくていいという。家族経営協定では、息子夫婦2組の手が足りない部分を自分が手伝う決まり。「段々と出番が減ってくる。最初に、俺がいなくても何とかなったときは寂しかったな」と、その口調に実感がこもった。

 長男の宏和さんに経営を移譲したのは2010年1月。はんこ一つで代替わりした時代と違い、3年計画で少しずつ責任を持たせて引き継いだ。

 井原家は徳島から本別に入植し、伸治さんで3代目になる。畑作農家をしていたが、伸治さんは高校時代に酪農に触れ、「面白い。搾乳をしたい」と気持ちが大きく傾いた。牛嫌いの先代(一已さん、故人)に反対されたが、全て自分で面倒を見ると説得した。1967年に搾乳牛2頭でスタートした。

反対押し切り
 酪農が好きだったから、昼夜、餌や搾乳について勉強した。運も良く、雌が連続して生まれて順調に頭数は増えた。先代も次第に認めてくれ、18頭まで増えた75年に畑作から酪農一本に転換。その後、伸治さんは経営を引き継いだ。

 「人並み、いっぱしの牛飼いになりたい」。その思いだけだった。

 酪農を取り巻く環境は厳しさを増している。自分が経営を始めた時代に比べ、衛生基準は厳しく、機械や設備にも多額の投資が必要になっている。法人化して人を雇うなんて考えられなかった。「俺のときと目標が違い、見ているものが違う。これからは利益が出る経営、人を上手に使える経営が大事になる。それができる所が生き残れる」と力を込める。

 酪農は地味な仕事だと思う。「365日、同じぐらいの時間に餌をやり、牛の体調を見て牛乳を搾る。それがお金になる。トラクターや設備を自慢するためじゃない、牛乳を搾るための仕事であることを忘れがちなときがある」

 息子2人の仕事ぶりを目にしながら、時に危機感が足りないと感じることもあるが、経営移譲後は信頼してできるだけ口出ししない。相談を受けたときに応えるだけだ。

自分の責任に
 「親父(先代)が牛嫌いのせいで、自分も何も言われなかった。ある意味、全て自分の責任。それが面白かった」。同じ道を歩み始めた宏和さん、克知さんに対し、厳しくも温かい視線を送っている。(安田義教)(おわり)



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