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【年間キャンペーン とかち 新・働く考】特別編 私のスタイル(下)

2013年03月15日 14時43分

「村民一人ひとりに寄り添っての復興を目指す」と話す菅野さん(金野和彦撮影)

飯舘村村長 菅野典雄さん(66)=帯畜大卒
村民一人ひとりに寄り添う

 本来の地を離れ、福島市飯野町に間借りする飯舘村役場の出張所。「2年で(共に)帰りたいものだと言っていたが、村民にうそをつく形になってしまった」。仮の村長室で、無念の思いを口にする。

愚痴で解決できぬ
 同村で生まれ育ち、帯広畜産大学の草地学科に進学。卒業後に村に戻って酪農を始め、最初の数頭が60頭に拡大した。この経営経験が「今の行政運営でも工夫を重ねる原点」だ。

 1996年の村長選で初当選、4期目に東日本大震災が発生した。直後は村も近隣から約1200人の避難者を受け入れる立場だったが、原発事故後は逆に村民約6000人の全村避難を余儀なくされた。

 避難に当たり、村のリーダーとして住民目線に立った要望を国に突き付けてきた。半面、国と現実的な折り合いをつけ、村民を諭すことも。「愚痴ばかりでは何も解決できない」と信念を持って仕事に向かう。

 そんなスタイルに批判もあるが、昨年10月の村長選では無投票で5選。「(無投票なので)村民の判断を仰げてはいないが、少なくとも私のやり方が、まだ受け入れられているのだろう」と受け止める。

次の2年で帰還を
 計画的避難区域だった村は同7月、住民の帰還を目指す避難指示解除準備区域など3つの区域に再編された。8月には復興計画(第2版)を策定、国も2013年度中をめどに除染を進める計画だ。今の目標として「最短で14年秋か15年春の、次の2年以内に帰還したい」と思う。

 ただ、一筋縄ではいかない。再編後、村の一部は5年以上も居住制限が見込まれる帰還困難区域に。除染は進むのか。帰還したとしても農業を営めるのか。何より、どれだけの村民が古里へ帰ってくるのか…。

 復興計画の名称には、村の方言「までい」(丁寧に、大切にの意味)を付けた。「口で言うほど易しくはないが、村民一人ひとりの復興に寄り添うという原点を、その思いを、村長として持つことが大切なのではないか」。古里への帰還・復興という大仕事に向け、新たな2年が始まっている。(井上朋一)



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