特集
【あの日あの時−十勝ひと物語−】 元おびひろ動物園長 高橋久道さん(5)
士幌高原道工事が中止
人と自然のすみ分けが大切

士幌高原道路工事をめぐり、十勝自然保護協会理事として道と議論を重ねていたころ
ある日、芳賀良一先生とともに士幌町の飯島房芳町長(当時)に呼ばれました。ナキウサギが生息する丘陵のすぐ手前が新田地区という開拓地だったのですが、山を一つ越えれば然別温泉で、そこに住む人にはいずれ道路を造ってすぐに温泉に行けるようにするという条件で入植してもらったとのことでした。つまりナキウサギがいっぱいいる所に道路を造るという話です。新田地区の人のことを考えると、「下駄履きで行ける程度の道なら仕方ない」と返事をしたのを覚えています。
1966年に士幌高原道路工事が始まりました。70年に異動で動物園園長から市民部長になりました。動物園から市役所への異動は嫌で嫌で仕方がありませんでしたが、はな垂れ小僧だった私を園長にしてくれた吉村博市長(当時)に恩返しするつもりで辞令を受けました。市役所は74年8月に衛生部長で退職しました。その4月に吉村市長が引退したので、もう帯広市に義理はないと思ったのです。それからは自分の好きなことや頼まれた仕事ばかりをやってきました。
市民部長になったころ、北海道が大雪山にトンネルを開けて旭川と帯広を結ぶ大雪縦貫道路を造るという話が出て、十勝でも反対運動が起こり、71年に十勝自然保護協会が誕生しました。協会の設立総会のときだったと思います。私は「大雪縦貫道路も大変な話だけど、士幌高原道路だってひどいぞ」と声を上げました。国道から工事現場の無惨な山麓(さんろく)の姿が目の前に見えていたからです。これが士幌高原道路反対運動の始まりとなりました。飯島町長には悪かったですが、下駄履きなら仕方ないと思っていたのがあんな大工事になるとは思ってもみなかったのです。
いつのころからか町道が道道になって道が工事を始め、状況はひどくなっていました。道は話し合いの中で「ナキウサギは1匹も殺しません」と言い、設計変更を何十回も繰り返しました。92年には車道である限り絶対反対という立場と、自然生態の被害をいかに縮小して工事を行うかを考える私たちの立場で十勝自然保護協会は二分しました。99年2月、私たちは施設設備の配慮などを求めた上で道が示した全線トンネルルート案を了承しましたが、同3月、時のアセスメントで工事は中止されました。
この間約30年、自然保護について考えるのにいい時間となりました。動物園に就職したときから自然保護について考えてきましたが、どうして自然保護をしなくてはいけないのかとなるとよく分からず悩んでいました。「絶対反対」という自然保護の理屈は納得できなかったのです。
士幌高原道路問題の最中のリオサミット(92年)で「生物多様性基本条約」が調印されました。その精神は「生物の共生」。それまで保護か開発かの対立軸だけでけんかをしていましたが、こういうことかと私は本当にほっとしました。保護する人も開発する人も共生することを頭に入れて判断するということ。グローバル・コンセンサスというすごいものができたと思いました。自然淘汰(とうた)の世界から人間だけが一人勝ちし、動物だけが滅びていっています。人と自然のすみ分けが大切なのです。
(聞き手・澤村真理子)
(おわり)
−時のアセスメント−
公共事業の評価システムの一つで、「時」の観点から見直す考え方。(1)計画策定から長期間停滞している(2)時の経過に伴い、社会状況や住民要望の変化により、計画を実施した場合の効果が低くなっていると認められる−などが対象となる。日本では1997年に北海道が導入したのが最初。



