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特集

【あの日あの時−十勝ひと物語−】 元おびひろ動物園長 高橋久道さん(2)

2010年08月31日 15時03分

32歳、二つ返事で園長に
病に破れた獣医の夢



 全市連(北海道全市役所職員組合連合会)の金堂守治委員長(当時)から「おびひろ動物園の園長になってくれないか」と切り出されたのは、開園間近の1963年の初夏のことでした。円山動物園でジンギスカンランチを食べているときだったと思います。

 円山動物園ではチンパンジーに芸をしこませて何度もテレビ出演していましたし、帯広市動物園建設期成会の方々の相談にもいろいろと乗っていたので白羽の矢が立ったのでしょう。ヒラの飼育係を園長にさせてやるって言うんですから、二つ返事で了承しました。32歳のときです。

 子供のころ、子犬を拾って玄関先で育てようとしたとき、祖母は私の3つ下の弟が戌(いぬ)年のため「弟が体を壊すからだめだ」と言ってかないませんでした。そんなことからかえって動物に興味を持つようになったというか好きになった気がします。戦争ごっごもよくやりましたね。

 小学校3年生になるとき、逓信省に勤めていた父親の転勤で北京に引っ越しました。北京の気候は帯広と似ています。天気のいい日が多く、よい所でした。北京の動物園には大きなブタがいてびっくりしたことをよく覚えています。ゾウ舎にはゾウの骨だけが飾ってありました。戦時中で新しく飼うことはできなかったのでしょう。中学2年の途中で戦争に負けて帰国、両親のふるさとの札幌へ。北京では中国人ともよく遊び、引き揚げるまで怖い思いをしたことはありませんでした。

 戦争直後、日本中みんな貧乏でしたが、中でも家は大変だったと思います。父親は東京で単身赴任をしていたので、兄弟7人と母、祖母の9人暮らしでした。毎日、朝昼晩ジャガイモやカボチャを食べていました。奨学金で北海道大学へ進学し、一般教養学部(理類)で1年半学びました。2年生の秋、学科から学部に昇格した獣医学部に進みました。朝から晩まで動物漬けでした。初めての解剖実習の後はごはんがのどを通りませんでした。解剖を終えた後にたばこを吸うクラスメートがいて、とにかくにおいがよくてうまそうで、そこでたばこを覚えてしまいました。

 4年生になってすぐの健康診断で結核が発覚し、1年間入院して療養、大学に戻って1年後輩と一緒に勉強しました。進路を考えるころになり、「病気上がりなんだから大学に残れ」とも言われましたが、教室でコツコツやるのも好きではありません。病気をしたため、あこがれだった獣医師の夢も断念しなければなりませんでした。

 そんな中、円山動物園からお誘いがあり、動物園に飛び込んだのです。動物好きにはもってこいの職場ですが、当時は夢の世界、絵本の世界で職場だとは思っていなかったのです。動物園での初仕事はライオンのエサにするために野犬を殺すことでした。学生時代に解剖をやっていた私は何ともありませんでしたが、ほかの人は大変だったと思います。およそメルヘンの世界には思いもつかないものでした。(聞き手・澤村真理子)


 −帯広市動物園建設期成会−
 1959年10月、市民有志11人を準備委員に帯広市動物園造成友の会として設立(翌年4月に改名)。動物園づくりの趣意書を作成し、広く市民に呼び掛けた。同年11月には札幌市円山動物園の協力で旧帯広小学校講堂と帯広畜産大学体育館で「動物アトラクション」(移動動物園)を催し、チンパンジー、カンガルー、アシカなどが芸を披露、市民の大好評を得た。63年7月13日、おびひろ動物園が開園した。

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