特集
【あの日あの時−十勝ひと物語−】 元おびひろ動物園長 高橋久道さん(1)
全国に先駆け耐寒訓練
忘れられないライオン脱走

ソ連の動物園からホッキョクグマが贈られ、動物園で開かれた歓迎会。左に座っているのが高橋さん、あいさつに立っているのは吉村博市長(1966年)
「ライオンが逃げているみたいだ」
1967年12月9日の朝、園長室の電話が鳴り、動物園のわきを通りかかった人からこう告げられました。その年に完成したライオン舎は道路からライオンの様子が見えるように設計していました。「設計に驚いたのだろう。作戦成功」と思いながら獣舎へ向かうと、本当にライオンが檻(おり)から脱走し、家畜舎の運動場でたてがみを振りかざして羊を取り押さえていたのです。
急いで園長室に戻り、市役所と帯広署、猟友会に連絡しました。職員が麻酔銃を装てんして獣舎に向かうと、ライオンは羊から離れてラクダを追いかけていました。駆け付けた田上与四市助役(当時)に「ラクダは1頭いくらだ」と聞かれたのを覚えています。
私たちが運動場に近づくと、ライオンはひゅっとラクダの小屋に入ってしまいました。ライオンだって人が怖いのです。職員が戸を一生懸命に押さえ、猟友会の人たちは屋根に上り、鉄の檻を持ってきてライオンを移動させました。結局、羊が1頭亡くなり、ヤギもケガをしました。個人的には動物園で一番忘れられない出来事です。休園中で本当によかった。
開園当初の思い出といえば、開園の年(63年)の秋に釧路の人が「大きくなったので引き取ってほしい」と、生後半年ほどのライオン2頭を連れて来ました。喜んでちょうだいし、檻のまま越冬動物舎に入れていましたが、正月が開けたころ、どうやら2頭の様子がおかしい。立てないようでした。クル病という骨の病気です。越冬舎では日光が当たらず、骨の成長が悪くなります。立てなくなるのも道理です。
昼間だけでも太陽に当てようと思い切って外に出しました。最初は雪の上で怖がっていましたが、2日目か3日目には立ち上がり、たちまち雪の上を転げ回って遊ぶようになりました。この体験を基にシマウマやキリン、ヒョウ、ロバ、ゾウ、チンパンジーなどさまざまな動物の耐寒訓練を始め、やがて冬季開園を実現するきっかけとなりました。南方系の動物を冬の寒空に出すことは帯広が初の取り組み。耐寒訓練の一環でチンパンジーの「ターボー」にスケートをやらせ、こちらも有名になりました。
66年には、ソ連(当時)の動物園からホッキョクグマの夫婦をちょうだいしました。
園長時代は芝生の上や園長室のソファに寝ころんで、年中仕掛けを考えていたものです。そのため、後々には話題づくりのため、わざとライオンを逃げさせたんじゃないかと冗談を言われたくらいです。(聞き手・澤村真理子)
−耐寒訓練−
南国原産の動物が極寒に耐えられるように、おびひろ動物園が開園の翌年の1964年から全国に先駆けて取り組み、旭川や釧路の動物園でも行われるようになった。動物舎を出て日光を浴びることで、風邪などの予防や骨の発達、ストレス解消になるほか、変化を与えてサイクルを保つ効果もある。




