HOME 特集 【あの日あの時−十勝ひと物語−】 前ホクレン会長 矢野征男さん(2)
   |  twitter |

特集

【あの日あの時−十勝ひと物語−】 前ホクレン会長 矢野征男さん(2)

2010年03月16日 16時13分

ドーハ・ラウンド
背中に北海道背負い緊張



 ガット・ウルグアイ・ラウンドの交渉が最終局面を迎えた1993年12月9日、私は農産物の市場開放に反対する総決起集会が開かれた東京の日比谷音楽堂にいました。

 当時の細川内閣は、米のミニマム・アクセス(最低輸入量)と関税化の調整案を受け入れる方針でした。集会には全国から5000人が結集し、政府の姿勢に憤りが渦巻き、会場は騒然とした雰囲気に包まれました。

 政府が調整案を閣議決定した同14日未明は、抗議の座り込みで社会党本部にいました。10年近く続けた運動の敗北で虚脱感に襲われ、政治不信に陥りました。

 農水省が関税で高い税率をかけたので、十勝の大半の農作物は守られましたが、加工品の輸入は自由化され、十勝の小豆の作付けは減り、痛手となりました。

 その後、農業交渉はWTO(世界貿易機関)に移り、ドーハ・開発ラウンドがスタート。稲作への影響を心配した全中(全国農協中央会)が農業交渉の閣僚会議や政府間交渉で、代表団を派遣。私もその一員としてカンクン(メキシコ)、香港、ジュネーブ(スイス)へ足を運びました。

 本州の農業団体は米だけを守ればよいのですが、ホクレン会長だった私の背中には、稲作のほか畑作、畜産、酪農と北海道農業のすべてがのしかかっていました。現地で交渉の様子を見守りながら、「これで決まったら北海道に帰れない」と思い、政府側へ詰め寄ったことが何度かあり、非常に緊張しました。

 十勝農業は、野菜や酪農畜産のウエートを増やしてきましたが、主軸の豆は今でもブランド力を保っています。輸入自由化阻止運動を振り返ると、雑豆が自由化されていないのは、運動の成果と思ってます。

 ドーハ・開発ラウンドでは、一定以上の重要品目(関税削減の除外品目)数を確保しなければ、十勝農業を守れません。「壁」は何としても死守してほしい。

 政府間交渉とは裏腹に米国の農業者は、われわれを温かく迎えてくれました。豆の産地、カリフォルニア州のトレーシーで、ビーンフェスティバルの関係者から芽室町と姉妹都市提携を結びたいと申し出を受けました。

 帰国後、鈴木三智男町長(当時)へ伝えたところ、了承され、89年にトレーシーで調印式を行いました。トレーシーの農業者で、日系2世のケン・ヤスイさんは2度、芽室に来てくれ、いまだに交友関係が続いています。(聞き手・平野明)


 −WTO農業交渉−
 2000年に始まり、01年に新ラウンドのドーハ・開発ラウンドがスタートした。(1)市場アクセス(関税削減)(2)国内支持(国内補助金削減)(3)輸出競争(輸出補助金削減)−を議論し、市場アクセスで日本政府は、小麦や乳製品などを守るため重要品目をできるだけ多くするよう主張、米国などの食料輸出国は品目の削減を主張し対立している。重要品目が大幅に削減されると畑作を中心とする十勝農業への影響は避けられない情勢。

6~12時 12~18時
3日の十勝の天気
最高気温
25℃
最低気温
21℃
天気予報はかちモバ!十勝19市町村6時間毎更新中!

十勝毎日新聞に掲載された全19市町村の話題や
お知らせなどを、地域の皆様や十勝を離れて暮らす方々にふるさと情報としてお伝えします。

無料メール配信中     登録数6000 件突破

今、なぜ「かちまい」…
ご購読のお申し込み