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【あの日あの時−十勝ひと物語−】 前ホクレン会長 矢野征男さん(1)

2010年03月15日 15時11分

輸入自由化阻止
元日に集会、全国ニュース



芽室公園で1988年元日に行われた農産物輸入自由化反対の大会(右から2人目が矢野氏)

 JAめむろ組合長を30年間務め、一貫して取り組んだ農政運動は、農産物の輸入自由化阻止の活動でした。ガット・ウルグアイ・ラウンドやWTO(世界貿易機関)農業交渉では十勝に関連した作物が目白押しだけに必死でした。

 自由化問題に本格的にかかわったのは、北農中央会が米国に1985年から派遣した調査団への参加からです。自由化問題で、米国がガットへ提訴した品目に、北海道が主な産地である雑豆(大豆以外の豆)が入っており、北海道農業への影響が懸念されました。調査団は米国の豆作、輸出の現況把握と北海道の農業事情を訴えるのが目的で、民間では前例のない取り組みでした。

 当時、私は十勝の農協組合長会畑作対策委員会の豆小委員会委員長を任せられていました。最初の渡米のメンバーはホクレン副会長を団長に私を含めて7人。その後も米国側との顔つなぎ役をやれといわれ、92年まで6回、訪米しました。

 向こうの大規模な農家の1戸当たりの作付面積は、当時の十勝の100倍、2000ヘクタールもありました。カリフォルニア州では雨の降らない畑にダムから水を引き、まるでハウス栽培のようでした。これでは十勝農業は太刀打ちできないと痛感しました。

 国会や農務省、加工輸出業者などを訪れ、北海道の状況に理解を求めました。米国では、豆に関した生産者や加工・輸出業者などが集まる雑豆コンベンションが各地持ち回りで開かれており、何度か参加しているうちに、向こうから依頼を受け、北海道の現状を訴えました。

 芽室の正月の恒例行事「裸みこし」が始まった1988年の元日、芽室公園で農産物輸入自由化に反対する大会を開きました。雪が降る中、3500人が参加し気勢を上げました。多くの人に知ってもらおうとマスコミが取り上げてくれそうな企画を考え、あえて元日を選びました。テレビの全国ニュースで報じられ、「芽室はすごいことをやった」と言われました。

 前年(87年)の9月には、雑豆の青刈りというつらい出来事もありました。農水省の指導で、自由化阻止に向けて生産調整による自助努力をアピールするのが狙い。最終的に1800ヘクタールの青刈りを整然と実施しましたが、反対する生産者から「おまえら、気が狂ったのか」との罵声(ばせい)を浴び、苦渋の決断でした。しかし、これが決め手となり、ガット裁定では自由化勧告を免れました。(聞き手・平野明)


 −農産物輸入自由化問題−
 1970年代末から内外で輸入自由化論が台頭。米国は牛肉、オレンジなどの農畜産物の輸入自由化を要求し、83年にはガットへ提訴、翌年4月、日本が譲歩し決着した。86年に始まったガット・ウルグアイ・ラウンドの農業交渉では、輸出補助金の削減などをめぐり米国とEUが対立して交渉は難航。日本は輸入数量制限に替わる関税化でコメの例外扱いなどを主張した。94年にWTO協定を締結し終了した。


 やの・ゆくお  1938年芽室町生まれ。旧川西農業高校(現・帯広農業高)卒。JAめむろ組合長を1979年5月から30年間務め、90年6月にホクレン副会長、99年6月に同会長に就任、2008年6月退任。日本豆類基金協会理事長、全国農協連合会経営管理委員、農協観光会長などを歴任した。71歳。

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