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【22−2121 この1年】(2)トムラウシ山遭難事故

2009年12月21日 15時02分

地方部 藤原 剣
「風化させぬ」 遺族に誓う

 「お前ら、人の不幸がそんなに楽しいのか!」。7月17日夜、新得町市街地にある町民体育館前。待ち構えていた大勢の報道陣に、到着したバスの運転手が痛烈な言葉を浴びせた。テレビカメラの放列とフラッシュの中、バスを降り、遺体安置先の武道館へと足早に駆け込む遺族。皆、声を押し殺して泣いている。家族を突然失った無念さを思うと、その様子をメモに書き留めるのが精いっぱいだった。

 真夏の大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で、本州からの縦走ツアー参加者ら18人が遭難し、8人が凍死−。夏山の山岳遭難史上、最悪の大惨事となったその渦中に、取材者の1人として自分がいた。

■既に午後6時
 その前日。夏にしては少し肌寒い、あの夜のことが忘れられない。新得町長選告示を5日後に控え、清水駐在記者として、現職の総決起大会を新得支局長と取材することになっていた。少し早めに支局に到着した時、新得署からの報道発表が流れていた。

 「トムラウシ山登山者からの救助要請について トムラウシ山を登山中の十数名が山頂付近で悪天候のため動けない模様−」。既に時刻は午後6時を回っている。日は沈み、気温は下がる。登山経験は全くないが、嫌な予感が頭の中をよぎった。

 詳細が分かるにつれ、支局長の表情がみるみる険しくなる。「相当数の犠牲者が出るかもしれない」。身支度を整え、現場の登山口へ急行。電波も届かない山奥で、ふもとの旅館の公衆電話を通じ、支局とやりとりしながら概要の把握に追われた。

■緊張でにじむ汗

トムラウシ山での悲報を聞いて駆けつけ、遺体が安置された新得町武道館に向かう遺族ら(7月17日)

 保護された生存者、警察や自衛隊、地元山岳会などによる早朝4時からの捜索、消防無線に次々と入る救出状況…。記者生活3年。信じがたい大事故の取材に、ペンを持ってもカメラを構えても、連絡で受話器を握っても、緊張で手に汗がにじんだ。チームを組んだ先輩記者ともども、3日間、ほぼ一睡もしないでの取材が続いた。

 事故から1カ月後、トムラウシ山に登り、ツアー客らと同じルートをたどって事故現場の様子を伝えた。10月には広島市で生存者の女性にも取材し、生死を分けた局面や教訓を聞いた。事故に関する記事のスクラップは今月で2冊目の半分を超えた。

■終わっていない
 事故の調査を進めていた日本山岳ガイド協会(東京)の特別委員会は先に、同行したガイドの対応に問題があったなどとする中間報告をまとめた。そして、取材に応じてくれた生存者の女性は「慰霊登山が行われるのなら、同行したい」と語った。遺族にとっても、生存者にとっても、事故は決して終わった話ではないのだ。

 町民体育館前、安置先に向かう遺族の姿を見て誓ったことがある。このような悲劇を二度と繰り返してはいけない、事故の記憶を風化させてはいけないと。地元紙の記者として何をすべきか、自問自答を重ねながらの取材が続いている。

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