特集
【あの日あの時−十勝ひと物語−】 前大樹町長 福原勉さん(4)
航空宇宙産業の誘致
夢と熱意で「実験地」定着
航空宇宙産業の誘致は、今や大樹のまちづくりにとって欠かせないものです。構想が持ち上がったときは私は議会事務局にいました。すごい壮大な計画だと感じたものです。実際町長になってから密接にかかわるようになり、夢やロマンを感じる一方、実現の難しさも痛感しました。
私も不勉強でした。ロケットを打ち上げる種子島宇宙センターのようなものをイメージしており、大樹にも宇宙基地をと、関係省庁に陳情したのです。「北海道に宇宙基地?」と相手にされず、名刺をいちべつするだけで視線も合わせてもらえないことが何回も続きました。
大樹は土地が広く東側は太平洋。条件は抜群です。十勝港やとかち帯広空港にも近く、あきらめてはいけないと心の中で誓いました。
幾度となく通ううちに人間関係が構築され、地元の意向を幹部に取り次いでもらえるようになりました。関係者が視察で大樹に訪れるようにもなりましたが、なかなかはっきりと進むべき形は見えてきません。行政区長会議などで農業の方が大事なのではと疑問の声も上がりました。
説得し我慢をしてもらった結果、国内の航空宇宙の実験場所として定着しました。町長を退いた今でも宇宙の話題には関心を持っています。新聞記事やテレビニュースを楽しみにしています。
町長に就任してまだ3カ月の1987年8月。大樹で国際宇宙移動夏期ジャンボリーを開催しました。日本各地と、アメリカ、ソ連(現ロシア)、カナダの子供たち350人ぐらいが来町しました。町福祉センターを拠点に、国内の科学者30人ほどが講師役になり、講演会や実験をしていただきました。
アメリカとソ連の宇宙飛行士の固い握手も印象的でした。科学者の大樹訪問はとても大きなことでした。彼らは町の取り組みや熱意を理解し、後々、強力な応援団となってくれたのです。
町内にはジャンボリー参加者全員を受け入れる宿泊施設がありません。ホームステイ先を募ったところ、町民は快く手を挙げてくれました。町民にとっても“航空宇宙”を意識するきっかけになったのではないでしょうか。
外国の子供たちがスイカを皮ごと食べてしまったり、生花苗沼(オイカマナイトー)でカヌーにはしゃいだり、砂金掘りを楽しんだりと、それはにぎやかなものでした。私も横浜の子供3人を受け入れました。楽しい思い出です。
ジャンボリーをきっかけに日本宇宙少年団大樹分団が発足し、宇宙に関する絵画コンクールも行うようになりました。92年8月には国際宇宙年の記念事業として、「スペースジャンボリー・イン・大樹」を3日間、開催しました。この時も全国の少年団員約350人が訪れ、「宇宙での生活」など24講座を展開し、中型モデルロケット発射コンテストを実施しました。
(聞き手・北雅貴)
−大樹と航空宇宙産業−
太平洋に面した平たんな広い土地など立地条件を生かし、福原氏の前の町長、野口武雄氏を先頭に航空宇宙産業基地誘致運動を展開。推進組織も数多く立ち上がり、「宇宙のまち・大樹」と関係者の間で広く知られるようになった。1988年には航空宇宙産業基地誘致対策基金条例を制定、昨年度末の基金は3128万円。
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