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【あの日あの時−十勝ひと物語−】 前大樹町長 福原勉さん(3)
町長選に初当選
人口対策で企業誘致に努力
1986年3月に病院の職を辞し、今度こそ妻の則子と旅行などで骨休めをしようと思っていた矢先、翌年の町長選挙に出馬しないかと誘いがありました。自分の中では青天のへきれき。そんな大それたことはできないと何回も断ったのですが、多くの人がひっきりなしに自宅を訪れ、説得していきます。
眠れない日が続き悩んだのですが、ここまで熱心に応援してくれる人の期待に何とか添えるように頑張らなければと、最終的に出馬を決断しました。身の引き締まる思いでしたね。
新人同士の一騎打ちとなりましたが、選挙は当然未経験なわけで、戸惑いと緊張の連続でした。町の第2期総合計画の途中で、前町長の計画に基づきよほどの状況変化がない限り、計画を継続していく考えを訴えました。熱心な支持者のおかげで当選することができましたが、自分で大丈夫かと不安でした。3期12年も続くとは正直思っていませんでした。
悩みの種の1つに人口の減少がありました。自然増の見込みはありません。平均すると1年で80人ぐらいが減り続けていました。この数字はちょうど大樹高校の卒業生と同じぐらいです。当時は3間口でした。つまり、卒業生の受け皿がないのです。
進学先がないのは当然ですが働き口も少ない。企業誘致ができないものかと思案しました。経済効果もさることながら、人口の流出に歯止めをかける意味合いの方が強かったのかもしれません。帯広に出店した岐阜県の中堅アパレルメーカーの縫製工場の誘致に成功しました。残念ながら4、5年で撤退してしまいましたが、20人ぐらいの雇用があったでしょうか。
現在も残っているのは、群馬県前橋市に本社がある漬物「たむらや」の大樹工場。大樹出身の男性から、同社が野菜に適した場所を探していると教えられ、おぜん立てもしてもらいました。ダイコンなどを試験栽培したところ品質を気に入ってもらえました。工場を建設することになり、1万7000ヘクタールの町有地を売却しました。
雪印乳業大樹工場のカマンベールチーズ棟の拡充も大きいですね。パート従業員など雇用の創出につながっており、随分と大樹の力になってもらっていますよ。
ライフラインの整備にも着手しました。90年から7年計画で統合簡易水道事業を始めました。町内数カ所に分かれていた水源地を2カ所に集約したのです。浄水方法は緩速濾過(ろか)と急速濾過の2種類があります。緩速はゆっくり自然に濾過するため、維持管理費があまりかからない。急速は機械で行うので早くきれいにできるが経費がかかる。
2カ所とも緩速がいい−との意見もありました。ただ、歴舟川は暴れ川。ひとたび暴れると濁流になります。何日も濁るのはまずいと思い、1カ所は急速の方法にしました。清流のおいしい水をいつも安心して供給したかったのです。下水道事業にも踏み切ることができ、トイレの水洗化が進みました。
(聞き手・北雅貴)
−1987年の大樹町長選−
福原勉さんと都築利夫さんの新人同士の一騎打ちに。野口武雄町政の継承を訴えた福原さんが有効投票数の91.5%の4795票を獲得し初当選した。
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