特集
【あの日あの時−十勝ひと物語−】 前大樹町長 福原勉さん(1)
財政再建団体
風呂も入らず電算機たたく日々
大樹はいい町です。若いころ、一時札幌や芦別で勤務していましたが、1949年に大樹に戻りました。知り合いの誘いもあり、大樹町役場にお世話になったのです。農地委員会が振り出しでした。税務関係の仕事も担当し、毎日のように自転車で砂利道を走り徴収に出かけました。空振りが多く、がっくりと戻ったことを覚えています。
若いころの思い出で忘れがたいのが、54、55年に町が大変な財政難に陥り、約3750万円(当時)の赤字を出して、国の財政再建団体に指定されたことです。現在の夕張と同じ状況です。病院の新築や、町立だった大樹高校が道立移管する際の新校舎建設などが重なってしまいました。ただでさえ戦後の厳しい財政事情。耐えることができませんでした。
当時の野口武雄総務課長(後の町長)は金策に走り回っていました。銀行ではなく、町内の有力者を回ったと聞いています。島田繁一町長(当時)は10年間で赤字をなくすと宣言、財政再建計画を立てることになりました。
私は野口さんから声が掛かり、税務課から再建担当の総務課に異動。札幌の旧市町村会館(現・ポールスター札幌)に1週間泊まり込み、風呂も入りませんでした。野口さんと2人で毎日、朝早くから夜遅くまで、そろばんや電算機をたたいて今後入ってくるだろう収入も含め、すべて細かく拾い、計画を立てました。
睡眠は2、3時間。早く仕上げようと無理もしました。眠くてしようがなく、計算がなかなか合わず大変でした。やっとの思いで完成させて町議会に持ち込み、自治省(現総務省)に提出、承認を得ました。自宅に戻り、風呂に入ったときはとても気持ちがよかった。昨日のことのように思い出せます。
ほっとしたのもつかの間。むしろそれからが困難の始まりでした。鉛筆1本に至るまで厳しい制限がありました。今の夕張の方々の苦労が手に取るように分かります。職員の給料は半年ぐらいの遅配。自分は独身でしたので、多少遅れてもまだ良かったのですが、家族持ちはさぞ大変だったことでしょう。どうしても必要な場合は助役が都合していた記憶があります。
その年の暮れ、ボーナスも含めてすべて一括で支給されました。職員の安堵(あんど)した顔に私も喜んだものです。結局、10年計画の再建も61年度に前倒しして終了。こつこつと節約し、事業を見直し、町民の皆さんからの理解も大きかった。再建にかかわった者として心底、肩の荷が下りた瞬間でした。
今はどの町村も大変だと思います。大樹も例外ではありません。伏見悦夫町長を筆頭に行革に努めておられますが、気苦労も多いことでしょう。福祉や医療などの分野にも手を付けざるを得ないジレンマを抱えているのでは。「大樹」という名前を残すために私も陰ながら応援したいと思っています。
(聞き手・北雅貴)
−大樹町の財政再建団体−
戦後、地方財政は年々悪化し、1954年度決算では全地方公共団体の33%に当たる2281団体が赤字となり、55年12月に地方財政再建促進特別措置法が施行された。大樹町も54年度に3754万円の赤字を計上、翌55年4月に財政再建団体に指定された。56年からの10カ年計画を基に3750万円の財政再建債を起債したほか、行財政の合理化を進め、61年度に財政の再建を達成した。

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