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「絵画と写真の交差 印象派誕生の軌跡」絵画と写真の協奏曲(下)
2009年03月07日 11時13分
都会に暮らす市民を描くことは、印象派の特徴の一つであろう。それは今日の家族写真やニュース写真と同じように、身近な生活のまわりで視野に入ってくる多様な映像の記憶である。それらの絵画の中には、写真というメディアを助手として、また写真の視覚的効果に刺激されて描かれたものもあった。
マネは都会生活の断面を多様な視点から切り取り、印象派の基準を示したが、《皇帝マクシミリアンの処刑》のような時事的要素の強い作品では、写真を利用して顔を描いた。モネは数台のカメラを所有していて、《庭の女たち》は友人の画家バジールの家で撮影した写真をもとに描かれたという。
“蜜月”経て現代の感覚醸成

「三人の踊り子」 エドガー・ドガ 1896−98年 ベオグラード国立美術館蔵
裸婦を描いた作品には、写真との相関関係が深いものが多い。写真技術の進歩を紹介した1855年のパリ万博以降、画家は写真を収集し、絵画制作のための資料として活用した。ヌードを描く時は、高いモデル料を払わなくてもモデルの代わりを果たしてくれる写真が画家の手助けをするようになる。
印象派の先駆者のひとりドラクロワは、写真を独立したメディアとしてとらえ、これを支持した。友人の写真家ドゥリューにモデルを撮ってもらい、その写真を絵画制作の参考にした。リアリズムを標榜(ひょうぼう)したクールベに至っては、写実的な絵画を描くために写真は必需品だった。彼の制作のアシスタントはヴィルヌーヴという写真家で、クールベの代表作は彼との共同制作のたまものといえよう。
ドガはヌードという分野で膨大な実験的試みを続けた視覚の冒険者であった。晩年のドガ作品はモノクローム写真のような、陰影と階調の美しさで見せるタイプの作品が多い。《浴後》連作は1の写真と数点の絵画作品との比較が論争を呼び、興味深い作品群である。ここに絵画と写真の交差するさまを垣間見ることができるであろう。
19世紀後半は、絵画と写真の蜜月時代であった。そのまなざしは、現代社会を現代人の感覚でとらえたものであり、印象派の画家と写真家たちは、その最初の表現者であったのである。
(東京富士美術館副館長・五木田聡)
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