特集
【あの日あの時−十勝ひと物語−】 舞踊家 松本道子さん(5)
2008年12月05日 14時08分
生と死に対峙 心の叫び肉体通し表現
1つのダンスが生まれるときとは、例えば遠い日の1人旅だったり、絵や音、1つの言葉などに心が動いたときです。そんなときに心を澄ませて静かに待っていると、必ず外側から“お呼びの声”が掛かります。
動きが生まれ、どんどん踊りだしてしまったり、限りなく踊りへの感情が膨らんでいきます。こうして動きが先導し、作品への思いやコンセプトなどは後から生まれてくることも多々あります。
3年前に訪れたタクラマカン砂漠。突然一筋の道が私の前に開かれたときの驚き。また冬の沖縄ではボーボーと強風が吹き荒れる中、泣き疲れた私がふと空を見上げると、そこには人の形をした大きな入道雲が出現しました。
こうして1人の旅には多々、不思議な呼び掛けが発生するのです。
叫びとか願い、狂気、愛などのヒリヒリとした熱い思いは、年齢を重ねるごとに衰えると思っていたのですが、若いときと同じように余りあるほどに存在します。好奇心の対象は幼いころと同じく、今も限りがありません。五感を研ぎ澄まし、呼び掛けの声をキャッチできるところに自分を置いていたいのです。
公演の日が近づくと、いつも「もう次はない。これで最後」という気持ちで取り組みます。ここで死ねたらどんなに幸せだろう−と本心から思い、燃焼し尽くしますが、踊り終えた途端に、その気持ちはすべて否定され「次こそ本物を踊って終わりにしよう」と後悔ばかりが残ります。1つが滅びると、1つが確かに始まるように、結局はどの作品も燃え尽きて、なお生きている自分がいる限りは、そこで終えることは不可能なのでしょう。
そして公演が終わると、また次を求めて旅に出たりと、この繰り返しなのです。
こうしてまた人前に出て自分のすべてをさらけ出す。“はだか”同然です。正気ではありませんね。踊らなくなったなら自分は終わりだと思っています。生きている限りは叫んでいたい、表現していたい、と思うのです。
75年の人生に今、変わりがあるとするならば、生の次には死が訪れるということ。これからは「死」とどう対峙(たいじ)していくのか。
生きるということ、この不条理を肉体を通して納得していきたい。「優れた舞踊は生と死の境を舞うものである」。この言葉を反芻(はんすう)しつつ。75年、たったの75年間…。
(この項おわり、聞き手・成田融。次回は泉耕治さんです)
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