特集
【あの日あの時−十勝ひと物語−】 舞踊家 松本道子さん(3)
2008年12月03日 15時51分
創作舞踊教室を開設 新たなダンス人生の喜び
東京でダンスに挫折し、帯広の豆菓子屋に嫁いで落ち着いたころのことです。「自分も何かして働きたい」「自分にはダンスしかない」と1958年(昭和33年)、長女が生まれてまだ8カ月でしたが、豆菓子屋の事務所を改装して「松本道子創作舞踊教室」(大通南15)を開設しました。
教室はフローリングの事務所と自宅部分の畳部屋のスペースを利用。子供たちが来ると、2つの部屋の間にある戸や自宅部分の6枚の畳を外して広いスペースを確保し、レッスンが終わればまた畳を敷いて部屋にしていました。慌ただしく苦労した当時の印象は強く、今でも夢に見るほどです。
生徒は当初10人ほどでしたが、その後、徐々に増えていきました。教室は体育館や公民館、そして中央公園での野外レッスン。教室にシャワーはなく、夏の暑い日には、子供たちがホースで水をかけ合ったことを思い出します。
十勝体育館の2階にあった武道場で早朝レッスンをしていた時代。夏は長女を自転車の荷台に乗せ、生徒たちより早く行って青畳を全部外して教室の準備をしました。冬は、るんぺんストーブに石炭を入れて、2階まで運んで火を付け、部屋を暖めて生徒を迎え入れていました。今の時代では考えられませんでしょうが。
家事、子育てに加え、舞踊の創作・レッスンは肉体的には確かにきついものでした。しかし、これからは人の指示に従うのではなく、自分の思い通りに世界を広げていけるのだ−と、ただただダンス再開の喜びに満ちあふれていました。
1979年、現在の公園東町に移転し教室名を「松本道子モダンダンス」に改名。このころから研究生の発表と符合して大人たちの作品にも力を入れ、札幌、東京、釧路などでも精力的に発表しました。ヨーロッパやニューヨークにも行き、多くのワークショップに参加、自身の踊りの世界を広げていきました。
当時は絵を志す人たちが連日スタジオに集まり、踊っている姿をデッサンしたり、音楽、舞台美術、プロデューサー、画家、詩人などが出入りするようになり、にぎやかな場所となりました。
画家の能勢眞美さん、北村ヒロシさん、現代アート作家の佐野まさのさん、高橋英双さん、詩人の吉原幸子さん、吉増剛造さん、詩人で脚本家の高橋睦郎さん、彫刻家の中江紀洋さん、そのほか多くの方々との出会いが私の舞踊人生に大きな影響、刺激を与えてくださいました。
(聞き手・成田融)
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